ABOUT

アメリカ合衆国の統一国家への道を切り拓いたのは鉄道であった、と言っても過言でないでしょう。多くの地方都市や街が鉄道の建設によって生まれ、あるいは人の移住の拠点や産物の集散地としての鉄道が経済基盤を整えるに至りました。

あの広大な国土と大自然の構造、建国以来230年余りの歴史の後半、そして今日の様子は、そこを走ってきた鉄道の変遷を辿ると、理解が深まります。

北米の鉄道に興味を抱いて半世紀以上。HOスケールの鉄道模型を軸に、その鉄道史を彩った車輌を眺めながら、北米各地のそのとき、あの時代に皆様とタイム・スリップしてみましょう。まさにそれが、鉄道が語るアメリカ像なのです!!

東京都中央区日本橋通三丁目三番地‥日本橋高島屋から1ブロック置いた銀座寄り、中央通に面した角地に生まれ育ちました。家の前に出れば、日本のすべての道路の出発点である「日本国道路元標」が日本橋の橋の上に立っているのが見えます。昭和20年代、まだ裏通りには焼け跡が残り、現在大手服飾メーカーの本社が建っている昭和通の一角は進駐軍(日本を占領していた米軍)の補給所でした。そんな時代でも、すでにこの「日本のど真ん中」には、手付かずの自然はありませんでした。身近の動植物は皆、デパートの屋上で値段が付いて売られていました。屋根の物干し台に上がっても、見渡す限り、商家の瓦屋根とその間に聳え立つ「ビルヂング」ばかり‥

テレビはまだ無く、外の世界の情報は映画館が提供してくれていました。そこで見る米国製の西部劇やディズニーの漫画、そして自然科学映画の傑作「砂漠は生きている」で幼い私を魅了したのは広大な西部の風景。なんと、家が一軒も無く、たまに牧場がぽつんと建っていても、その隣に‥家はもう無い。走り回っている獣、飛び回る鳥には値札が付いていない!そうした無限の荒野を切り輪って、どこまでも続いていく線路に、近所の神田交通博物館の庭先に飾られている「弁慶号」と同じかたちの蒸気機関車が、大きなじょうご型の煙突、鋭い牛除けを振りかざして走ってくる‥こんな世界に行ってみることができたら、どんなに素晴らしいだろう‥これが、私の米国の鉄道への興味の原点でした。

ちょうど、そのころ、我が家には小さな「アメリカの汽車」がありました。1歳半のとき、父が私と遊ぼうと、銀座の時計店、「天賞堂」の二階にできた模型売り場で買ってきたHOゲージの列車セットが米国の鉄道車輛を模したものだったのです。

線路を敷いた畳を西部の荒野に見立て、そこに寝そべって米国鉄道列車を眺めながら、憧れの大自然に想いを馳せる。そこで私の人生のテーマは決まってしまったのでしょう!