2014.5.12

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.77

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先週1週間は、英国アトランティック・パブリケーション社のオーナー・エディター、トレヴァー・リドレイ氏夫妻を案内して、萩、津和野、宮島、奈良、京都を旅してきました。

桜や紅葉の季節も好いが、新緑の日本というのも、また格別ですね。亡父がつねづね「日本は水蒸気の島」と申しておりましたが、水気をたっぷり含んで膨らんだ若葉の風情というのは、それ自体が眺めて飽きません。

加えて、山に掛かる水蒸気の描き出す、水墨画そのものの眺め‥リドレイ夫妻は毎日歓声の連続でした。

萩は25年ぶりぐらいの訪問でしたが、相変わらず遠いですね。いま日本で一番行きにくい観光地の一つではないでしょうか?

津和野と萩は、よくセットで宣伝されます。確かに、山一つしか隔てていないのですが、山口線はその山を越えずに斜めに走って石見益田に出てしまうため、萩へは山陰本線をV字に戻る形になり、タクシーなら40分ぐらいで行けるところを、益田での接続が悪いと3時間半ぐらい掛かってしまいます。バスも半日に1本ほどしかありません。

何でまた、そんな遠いところまで外人さんを連れて行ったか、と申しますと、トレヴァーは大学で美術を専攻した折、日本にも何年も滞在して日本の陶芸を絶賛したイギリス切っての陶芸家、バーナード・リーチの晩年の講義を聴くことができて、そこで萩焼の窯が町を囲み、美しい漁港のある萩のことを知ったのだそうです。

以来、半世紀近く、萩のことを想い続けてきた、ということで、数年前にコロラドのナロー・ゲージ・コンベンションで初めて出会ったときの開口一番が「自分が日本を訪問したら、益子と萩へ連れて行ってくれるか?」でした。

第1回の訪日ではまず益子へ案内してリーチの足跡を辿ってもらい、3回目の今回、約束の萩訪問を実現させたわけです。

私の英会話レヴェルは実に拙いもので、平井憲太郎氏から「恥ずかしいから、なるべくしゃべらないように」と注意されたぐらいなのですが、それでも西洋人と旅するのは、彼らがどんな事象の感動し、驚嘆するのか、彼らの視線を通して見た、別の角度からの日本、あるいは反対に、洋の東西を超えた美意識の共通点が発見できるので、好きです。

こちらからも、知っている、ごくわずかな単語を駆使して、何とか説明しようとすることで、日本の風景美、日本の文化を自分がどう捉えているのか、日ごろは雑然と放り込んである想念が整理できるので、表現したいものの要諦を掴む=ストーリーを組み立てる、という意味において、レイアウト・デッサンのトレーニングにもなります。

で、今回は、いつの間にか「萩石見空港」というのが出来ていて、羽田から1時間半程度(そこから萩まで乗り合いタクシーでまた1時間程度、というのが凄いのですが‥連絡バスは普段の利用者が少なくて廃止になったようです)で行けるというので、全日空を使ってみました。

国内線航空路というのは、いまや時間と料金の両面で旅行者の救世主なのですが、私はどうも昔から、「国内線の飛行機は当てにならない」という思いが強くて、実はあれだけ全国に出張したのに、62年の間で、まだ今回が12回目、というぐらいしか利用したことがないのです。なにしろ、その少ない経験のうち、すでに2回悪天候でフライトがキャンセル、という目に遭っているからです。

それでも珍しく乗ってみる気になった途端、石見空港が強風の追い風で、降下進入を4回試みるも結局着陸できず、手前の米子空港に下ろされてしまいました。

「バスを手配したし、列車賃も渡すから、すぐJR米子駅に行って、特急を使ってくれ」という説明にしたがって、これも最後のD51お召し以来、40年かぶりに米子駅に行きましたが、バスが到着して4分後には下り特急「おき」が来て、それが益田で乗り換えて萩へ行ける最終だ、というのです。そこへ何しろ中型機とはいえ、飛行機1機分の乗客がどっと来たわけですから、切符の窓口も自販機も長蛇の列。しかも自販機は1000円以上の区間に対応していない。

やむなく最低区間140円の切符で改札を突破(しっかり自動改札機はある)してホームへダッシュすれば、やってきた特急「おき」は2輌編成。しかもうち1輛は座席指定車。そこへまた飛行機1機分の予期せぬお客が押し寄せたのですから、ホームはパニック。昔のキハ82系「はまかぜ」のあの堂々たる編成は最早夢幻のごとく消え去っており、米子で弁当を買う時間がなかったために、途中、出雲市もホームの駅弁は昼前だけ、結局益田まで、車掌さんが親切にも遅れている列車の発車をさらに遅らせてくれて自販機から出せた緑茶1本で命をつなぐ破目に。

「おき」は益田から山口線に入って新山口で新幹線に接続する列車で、益田から東萩は40系気動車の高校生通学列車でさらに各停1時間半の旅。結局、東萩の旅館にたどり着いたのは19時10分で、当初の予定より5時間余り、羽田からはたっぷり7時間の旅となってしまいました。ちなみに成田-シアトルは8時間半です。

さあ、これで過去12回のうち、3回がまともに飛ばなかった私の国内線体験。実にトラブル率25%!私がいかに不器用に人生を渡ってきたか、を正に象徴するような数字でしょう。他の方なら1回ですんなり済むことが私ですと何度ものやり直しや数倍の迂回を余儀なくされるのです。

たった一つ、その日の僥倖は、益田-東萩間の山陰本線は数々の入り江に沢山の小島が浮かぶ海岸線を辿るのですが、ちょうど朦気の日本海に沈みいく夕日にそれらがシルエットとなり、印象派の巨匠、クロード・モネの「エトルタ海岸」の連作を見るようであったことです。やっぱり旅は汽車に限ります。

翌朝はまた、元小火山、という岬の頂にある宿から見下ろす萩漁港の眺めが素晴らしく、出入りする漁船に、例の「イワシ舟」のイメージが重なりました。

レイアウト・ビルダーはスケッチ旅行を大いにすべきですね。そんなことは鉄道模型雑誌や数多の入門書は書きませんが、本当はそこが基本のような気がします。

実は足許には旅支度が済んでいます。あと3時間でウエスト・ヴァージニアはキャス・シーニック鉄道の新緑を見に行きます。というわけで今週末の配信はできません。来週末、なにか土産話をお届けできるでしょう。