2013.8.18

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.69

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永らく趣味月刊誌の発刊を仕事にしていましたので、皆さんは「日々撮影三昧、全国津々浦々を撮影してまわったことだろう」と想像されているようですが、仕事、それもちっぽけな出版社の、となると雑用や、自分では閉会までの残り時間との闘いで楽しむ暇などとてもない運転会の取材、それに広告主の機嫌取りなど、を繰り返す日々がえんえんと続くだけで、当座記事の種にはならない撮影など全く行かなくなるものです。

自分で試乗会や試運転の撮影に行った、300系新幹線、JR東海の「あさぎり」、初代NEX、小田急のLSE、HiSEも写したのはあとにも先にもそのとき限りで、それらが昨今バタバタ引退ですから、時の経つ速さに驚かされます。何か「おまえももう時代に合わなくなった」とあてこすられているみたいで、鴨長明ばりの無常観にさいなまれますから、老後のことを考えるなら新車の取材なんて行くものではありませんね。

この二日間行ってきた大井川鉄道も、この前、最後に行ったのがタイからC56が帰ってきたとき=昭和54/1979年、ですから、33年ぶりの訪問でした。それですら、私の撮影歴の中では「最近の出来事」として記憶されているのです。

「ちょっと来ない間に千頭も変わったなあ!」そりゃ30年も来なけりゃ変わりますよ。最近は日本中どこへ行ってもそれです。浦島太郎の悲哀がよく分かる。旅をするのが恐怖になりましたね。

今回も「一体自分が日本のどの辺に居るのか見当もつかない」山奥の寸又峡温泉まで行きましたが、そんな山中ですら、あの ブっといコンクリート電信柱が路の脇に林立していて景観を台無しにしています。またそれにタコ足状に張り巡らした電線の汚いこと!雨の遠山に雲が掛かっている‥風情ある民家の庭先に白梅が八分咲き‥思わずカメラを向けると必ずどこかにコンクリートの電柱が写り込む。くすんだ風景の中で独り白いから余計に目立つのです。それで途端に感興も写欲も減退です。井川線の奥の方まで行って折り返しの列車が来るまで、駅で教えられた茶店で昼食を摂るべく谷間の集落に下りましたが、そこで、もはや日本全国、人家が集落といえるほど集まった場所では、あの目障りなコンクリート電柱を画面に入れずにパノラマを写すことは不可能だな、ということを悟りました。

仕事で建てた人の罪ではないが、あの丈夫一点張りで「この村にも文明開化をお届けしましたよ!」と無邪気に胸を張っている、明るい公共工事の独りよがりな破壊力をどうして地元の人が気にしないのか?

父は蒸気機関車が好きではありましたが、取り立てて見にいくとか、本を買う、とかいうほどの趣味人ではありませんでした。しかし、画家で、写真もライカを持っていたほど凝った時期もあったほどでした。鉄道写真を撮り始めて蒸機を追い回し始めた私に真っ先に教えたことは「画面に白や黄色の人造物は入れるな。画面の中に大きく写った白いものは見る人の目をそこへひきつけてしまうので、汽車や風景の良さが殺されてしまう」具体的にはコンクリート製の電柱、柵、塀、白い看板、舗装道路、ガードレールを「風景を壊すもの」といって注意されました。

ですから、私の撮影場所選びも自ずと、まずそうしたものが入らない場所を探すことから始めるくせがつきました。駅構内の柵でも古枕木利用のは画面に入れても、コンクリート製は切る、とか‥

それでいまになって思い返すと、昭和50年あたりを境に私が国内の鉄道の撮影に情熱がわかなくなった理由は、実は現役蒸気機関車の全滅ではなく、コンクリート電柱、ガードレール、アスファルト道路、自転車通学の子供のヘルメット、と、風景の中に目をむく「白い物」が急増した所為だったようです。そうしたものが増えすぎて画面から外すのが難しくなってきた。それに加えて鉄道構内のタイガー・ロープや作業員の黄色い安全帽、ヘルメット。鉄道を囲む景色に目障りなものが急に増えました。ですから古い電車も決して嫌いではないのに終末期にたくさんのファンが押しかけた名鉄の支線なども一向に写欲が涌かなかったのでしょう。

で、実物写真の撮影から移っていった先が念願のレイアウト製作だったのは明らかです。私はそこでは「細密に造ろう」としたのではなく「自分の鉄道の理想郷を造ろう」としたのです。この思考はいまも変わっていませんが、「いくら実物には在っても、自分の目に心地好くないものは一切レイアウトに持ち込まない」と決めています。ですから「立っていなくては理屈に合わない電柱」でも平気で省略してしまいます。求めているものが「写真的な正確さ」ではなく「絵画的なまとまり」だからです。

ところが、いまの日本型Nゲージのレイアウトを拝見していると「絵画的なまとまり」よりも多分に「写真的な正確さ」に価値観が置かれているのを感じます。つまり「ジオラマだから実物のあるがままをできる限り精確に再現しなくてはいけないのだ」と‥

「実在優先主義」とでも申しましょうか?「実物に一般的だから、美しさは二の次で模型化しなくてはいけないのだ」という思想ですね。いま製品として造られている日本のNゲージレイアウト用品にはストラクチャーをはじめとして、こういう考えで企画され、デザインされているものが結構多いようです。たとえばストラクチャーでいえば「建物としてそれ自体はちっとも美しくない」のに「よく見かける」というイメージ先行で造られている製品です。

つまり、「ああ、佳い建物だな」と「直感で感心する」よりも「ああ、どこにもある典型的な建物だな、風景だな」という、「イメージで納得させる」ことに、製品の設計者もレイアウトの造り手も腐心してるのではないでしょうか?

しかし、今回私が井川線の奥の山村で見てきたような、コンクリート擁壁で整然と区切られ、公道はおろか農道までアスファルト舗装で、角々にはコンクリートの電柱が立つのが日本の現代に標準的農村風景だとすれば、そういう風景を見て育った世代の造るレイアウト、イメージするレイアウトはおのずとそういうものになって行くのではないか?現にいまの新旧が雑然と入り混じった、お世辞にも味わい深いとはいえない駅前風景がレイアウトの世界で盛んに描写されているのを見ていると、「精密なレイアウト」というのはそういう方向へ行くおそれが多分にあるが、果たしてそれが「美しい造形物」たりえるのだろうか?と心配になります。

司馬遼太郎さんは「田中角栄の列島改造論以降、地方に角栄的気分が蔓延して農村風景が美しくなくなった」と晩年随想に書いていますが、もちろん、この場合の「美しい」は「カラフル」という意味ではなく、むしろ対極にある精神性としての美しさ、程好さ、でしょう。

プロのレイアウト製作業者を筆頭に、「カラフルなゆえに美しさを感じさせてくれないレイアウト」が、特にNに多いことの原因も、どうもこのあたりにあるような気がします。今後の日本のレイアウト界がぶち当たるであろう大きな問題ではないでしょうか?雨に煙る奥大井を訪ねて、そんなことを思いました。つまり「日本人は理想郷を描きうるか?日本人にとっての理想郷とはいかなる風景なのか?」という課題ですね。

(今日は奥大井の山村風景を付けるつもりでしたが、デジタルカメラのデーター設定を間違って写真加工用にして撮影してしまいましたので、今夜中には変換でできません)

この一週間は何かと落ち着かず、じっくりした工作が出来ませんでした。「クラム・ベイ」工場エリア用の船舶、「イワシ運搬船」はマスト周りが少し進みましたが、ここから先はキットどおりのプラ帯材の組立てでは強度が心もとないので、エコーモデルまで真鍮帯材を買いにいってから進めることにしました。もう一艘、着工したのは「クレーンを載せたはしけ」です。「シープスコット・スケール・プロダクツ」という長い名前のメーカーの製品で80%以上が木、という構成です。

このメーカーも製品には「海関連」が多いですが、そのはずで所在地はニュー・イングランド最北で大西洋に面したメイン州です。このメーカーの製品は私も初めて組むので、手探り状態ですが、購入して確かもう15年前後経っていると思うので、そろそろ手をつけるべきか、と考えました。油性ニスで染めたバス・ウッドの帯材を米松製の芯に張り並べて、ようやくはしけらしさが見えてきたところです。