2013.8.18

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.63

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レイアウトを日々新鮮に感じて居たい、と思ったら、ときおり草を植え足し、樹を植え替えることですね。

自然界でもこれは年年歳歳繰り返している事ですから、理に適っています。事実昔の風景から、いまもさほど変わっていない、と思われる場所でも、半世紀ぐらい間を置いた写真を見比べてみると樹木は存外に世代交代しています。

ですから、レイアウトでも、年々新しい草が芽生え、樹木が生長してきてもおかしくないわけで、まして、当今は年々新しい表現の草や樹木が発売になっていますから、昔造ったシーナリーでも、それらで飾り直すとぐっと立体的になり生命感も蘇ります。

むしろ、昔造ったシーナリーの方が埃の染み込みや退色で地面の色が落ち着いてきていますから、そこへ新しい緑、というのはなにかリアルにさえ見えます。「地面の色は30年ぐらい寝かせると本当に良くなる」とでも、もっともらしく言ってしまいましょう。

我が家のレイアウトも、古い部分の地面は造って以来、もう35年以上経つのですが、私は古くなった、と思ったことがありません。その土はずっと息づいている、だから新しい草木も生えてくる‥広告や店頭で新しい草木を見つけると、まず買って植えてみます。広告写真や店頭でいいと思っても、自分の地面の色に合うかどうか、こればかりは現場に持ち込んでみないとわかりません。ただ、ほかのものを植え込んで行くと、一度合わないと思った製品が突然ぴったりになってくることもあります。これもまた面白い。

私のレイアウト・ビルダー仲間には御園生さん、奥野さん、福井さん、川田さん、元綱さん‥と、草むらを立体的に構成する名手が揃っておられて、その密植を拝見するたびに「私はまだまだ」と思い知らされるのですが、やはり勘が悪いのでしょう、なかなか一発では上手く行かず、日を置いては何度も何度も植え足しています。手先のことは頭が理解しても体が理解しないうちはダメ、ある日突然体が理解するまではひたすらやるしかないないのでしょう。

ただ、草材料の面白いのは、接着剤をつけて植え込んだ当座は何となく据わりが悪いのが、接着剤が乾くと次第に落ち着いて、自然にその場なりの姿勢をとってくるようになることです。逆に、無理やり押さえ込むと不自然になるようです。あたかも実物の寄せ植えが植え込んだとき何となく落ちつかないのが、水をやるうちに土も根も締まって一体感が出てくるのに似ています。そして何となく生命の息吹を感じるようになる。こういう時に「レイアウトは生きている」と思うわけです。

で、このところ、寒くて体の動きが悪いものですから、台枠の下へ潜ったり、「山」の上に上ったり、水洗い仕事になるようなことはやりたくなく、川原のあたりをいじり続けています。

蒸気ショベルの相棒になる石炭車も登場したので、ここで30年間、やろう、やろう、と思いながら先送りにしていた、採砂線とショベルのいる側線のポイントの標識の設置を終にやりました。

このポイントは最初から、蒸気ショベルを配置するためのダミーで、作動させる積りはなかったので、米国のナロー・ゲージの古い写真に見かける、古典的な鈍端ポイントを再現しました。先端(尖端とも書きます)軌条が左右に動く、通常の様式とは異なり、フログ直前の主レールごと分岐側へ撓わせるものです。線路の専門用語では「鈍端ポイント」と呼ぶそうですが、先端軌条が尖らないからでしょうか?

レールがある程度まで細くないと人力で簡単に撓まないので列車が軽い鉄道でないと使えませんが、利点は3線分岐も簡単に作れることのようです。米国の雑誌には昔、これを本当に作動するように作る製作記事も出ていましたが、私は別にポイント・フェチではないし、レールは実物へのこだわるより脱線しないこと、確実に給電できることが大事と思っていますので、そこまではしようと思いません。しかし、まあ、絵として、「米国のナローにはこういうポイントもありましたよ」という解説に、1箇所ぐらいは作っておこうと考えたわけです。それは、米国の鈍端ポイントの切り替え梃子兼標識が独特の姿でなかなか魅力的だからでした。

それで、当レイアウトでもっとも簡易的な線路、となると、この採砂線、ということになったのです。線路自体は30年以上前に作ってありましたが、標識は立てていませんでした。当時すでにロストワックス・メーカーで有名だったケムトロン社からパーツは出ていて、それだからこそ、鈍端ポイントをかたちだけでも作ろうと考えたのですが、こういう「立ちもの」は往々にして腕を引っ掛けて壊すので、この川原の一段上を通るクレメンタイン支線の線路敷設が終わらないうちは危険、と判断していたのです。

パーツの方は、ケムトロン社は消滅しましたが、幸いにもプレシジョン・スケール社に引き継がれて、いまでも売られています。もう40年以上になる商品ですが、この30数年の間にそういくつも売れたとは思えないものがこうして受け継がれて販売されているのが米国の鉄道模型界の凄さだと、つくづく思います。鋳造製品の原型というのが商品価値でなく文化的価値で判断されているのですね。

で、私も数年前、新額堂の引き出しで見つけて、買ってありました。昨年春、ご報告したようにクレメンタイン支線の線路も30余年のブランクの末に敷き終わりましたので、いよいよ採砂線の鈍端ポイントに標識を立てても大丈夫だ、となったわけです。

ただ、標識の矢羽の色が、わからない、というか、長年「赤一色でいいのだ」とばかり思い込んでいました。なにしろカラー写真の無い時代に使われていたポイントですから‥米国の水平回転型のポイント矢羽に多いのは、日本のように90度クロスではなく、一枚だけで大体赤塗りが相場です。

ここからが「偶然の不思議」という話になるのですが‥昨年9月のコロラド撮影旅行では、同行の機関車製品設計家、ジミー・ブース氏(PBL/グレーシャー・パーク・モデル経営)に連れられ、デュランゴ鉄道歴史協会の会長、ジョージ・ニーダーラウァー氏に会い、氏の案内でシルヴァートンの町にある、協会の保存施設を見せてもらいました。ジミーが、この協会が動態に復元したC-18クラス、No.315の先台車の細部を計測したい、ということで特別に車庫(この車庫自体が戦前に廃線となったシルヴァートン・ノーザン鉄道のものがいまだに残っている貴重な史跡) の扉を開けてもらったのですが、ジミーが調査している間、構内の撮影をしていましたら、在ったのです!デンヴァー・アンド・リオ・グランデ型の鈍端ポイントが現役状態で‥

聴けば、どこかの駅跡のくず鉄の山を調べていたら、中から梃子金具が一組だけ出てきたものだそうで、この保存庫を整備するに当って、復元したばかり、とのこと。これで分かったのです、矢羽は定位が白、反位は赤が上に来る、左右塗り分けだ、と‥

金具はケムトロンの製品そっくりでしたが二又分用で垂直と線路側にノッチが切ってありました。くず鉄から整備したのが自慢で居合わせたボランティアが実際に切り替えて見せてくれました。

この目で確かめてきたほど強いものはありません。(本当にそうか?) 昨年暮、他に黒染めをするついでに3ピースに分かれた真鍮ロストワックスのパーツにも着色しておいたのを組立て、矢羽を塗り分けたら、シルヴァートンで見た実物通りになりました。

白の塗料の方がちょっと軸に沿って走ってしまいました。削って修正しようかと思いましたが、「いや待て、この方が、専用鉄道の作業員が大刷毛でベタ塗りに塗り替えて垂れたのをそのままにした、という雰囲気は出るか?」と思い直しました。こういうのはなかなかやろうとして描けるものではありません。修正するのはいつでもできるから、とそのまま残しました。

予定地点に立てて、まわりに草を植え足して‥「風景の中に鮮やか赤がピッとあると、全体の気分がとてもアトラクティヴになるんだ!」とはジョン・アレン後の米国の有名レイアウト・ビルダーの一人にして、ディズニーランドのデザイナーでもあるジョン・オルソン氏がかつて教えてくれたことですが、敢えて殺風景を目指した川原にポツンと立つ標識はまさにその効果をもたらしてくれました。

高校時代の前半、実物の鉄道写真を撮り始めた私がまず目指したのは当時の私鉄、専用鉄道にまだかろうじて残っていた、明治、大正時代の小型蒸機でした。初めて降り立つ地方の小駅から5万分の一の地図を頼りにガタガタの線路を辿っていきます。不安と期待半々に歩きつづけるとやがて、錆びたポイント標識がポツンと立っているのが目に入り、その彼方に目当ての機関車が蒸気をたなびかせている‥ポイント標識というのは私にとって、そういう存在でした。

ですから「河岸段丘を切り割った急勾配をとぼとぼ下って行くとカーヴの先にポイント標識が見えてきました」というストーリーは私の「川原物語」には欠かせない一節だった、というわけです。

レイアウトの中を歩く目になって場面を創っていく-「石膏をどうする、ボンド液でどうやる」という情報より、この視点こそ持たなければレイアウトは作っても面白くない、と私は思います。『LB』以外はどこのレイアウト本にも書いてありませんが‥