アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.41



今年も「日本鉄道模型の会」の「国際鉄道模型コンベンション」は3日間の会期を無事消化しました。

「無事」という以上に「大成功」といっていいでしょうね。初日は午後に突発的な豪雨もあり、3日間ぐずつき気味の天気であったにもかかわらず、来場者は昨年より多かったですし、会場構成を担当した伊藤良一理事と大野雅志理事の綿密な工夫でブースの配置が大変見やすく、分かりやすかったのが来場者にも出展者にも好評でした。

企業出展も昨年までは担当理事がおらず、イベント業者志向のボランティアが放漫的にやってきていたのが慣習で一種の聖域になっていたのを更迭して、私が企業出展担当理事となり、初めて理事会の直接管理となりましたが、そこで出展全企業に要請したのは「ラッパ、鐘など鳴り物や大声での安売り連呼の自粛」でした。

事前説明会で「われわれモデラーにとって模型は単なる“物”ではなく、心の拠りどころ、なので、それを叩き売りのように扱われるのを見せられるのは、安く買える魅力では補えない屈辱感、寂しさがあるのです」と訴えました。

そうした率直な吐露が功を奏したのか、今年の企業ブースは大変に落ち着いた雰囲気が流れて、会場全体の雰囲気も「品格ある鉄道模型の祭典」の実現ができ始めたと感じました。

アマチュアの出品作品も粒が揃って、総体に「ただ走らせている」ではなく「シーンとして見せようと意識している」展示になってきた、と思います。

事実、従来例年繰り返してきた「Nゲージの会場限定品狙いの若者が早朝から押し寄せ、それを買っただけで潮が引くように帰っていく」というパターンが消え、「年配のモデラーもゆったり見ていくコンベンション」に移行した感じを強く受けました。何人もの年配者が2日に亘って来場しているのを見ましたから、そう受け止めてよい、と思います。

一昨年あたり、私は「来場者の多寡」よりも「来場者の滞在時間が年々短くなってきている」ことに、当時の運営手法への危機感を高めていたのですが、その年の暮れに運営の主体を業者からモデラー理事に移したことの効果がようやく身を結んできたようなのが、今年何より嬉しかった点でした。

今年は平井さん(理事長)、伊藤さん、大野さんだけでなく、早稲田OBクラブの遠藤さん、ハワイアンモジュールの藤井さん、川田さんの各理事、それに監事の井門さん、という、私の理想である「工作台から発言する」メンバーが前面展開して、コンベンション全体を組み立てたのがムードを一変したと思いますし、私が業者出展担当として各企業ブースを挨拶廻りした中でも、この新しいムードは好評のようでした。

現理事長も「この会のイベント業者化は断然排していく」といっていますので、来春の理事改選では「本格志向の工作派主導」に向かって大きく前進できそうです。

この20年来、鉄道模型界、特に出版やNゲージ専門業者の間には「趣味人口を拡大するには趣味のレヴェルを下げるべきだ」という主張が幅を利かせてきました。「底辺拡大」というスローガンでそれを具体的に主導してきたのがネコ・パブリッシングのRMM誌でしたが、私の主張は正反対で、「趣味の質を高め尊敬される文化性を持たせれば自ずと吸引力は生まれ、永続的な趣味として定着する。永続的な趣味人が居なければ一過性のブームに終わって、この趣味は遠からず衰退する」というものでした。

一口いえば「バイオで大量促成する野菜」か「丹精する庭木や盆栽」か、の違いです。

この「バイオ派」が勢いを得ていた時代は、私などは業界では邪魔者扱い、異端者扱いでしたが、「バイオで作った需要」が長続きするはずはありませんでした。なぜならバイオで増やした苗に備わった遺伝子というのはどうしても限定的で、短期消費の野菜ならそれで構わないが、永続的な耐久力、生命力に必要な根源的感動(いまの横文字でいえばモチベーション、というのでしょうか)は与えられていないからです。バイオ派の雑誌なり業界なりは、バイオのテクニックには長けていても、それを本格的育成に転換するノウハウは持っていませんでした。

「いずれそうなる」と思っていた私でさえあっけないと思うほど、「バイオ的鉄道模型ブーム」の終焉は急速に来たようです。その象徴がRMM誌を出してきたネコ社の一昨年の破綻で、会社ごと第三者に転売となりました。

新オーナーは全く鉄道模型界に無縁の人ながら、「低レヴェル拡張路線」を捨て、とりあえずは私のころの「アイゼンバーン」路線をパクる方針を取らせているようです。しかし姿は似せても、自分でいうのもおこがましいが「根っこの栄養」が違いますから、「超える」ことはできないでしょう。

ネコ社の破綻以後、鉄道模型、特にNゲージ・メーカーにおいても何かが確実に変わってきたのを感じます。今年のコンベンションで私がそれを強く印象付けられたのが二つありました。

一つはあの蒸機ものに熱のなかったカトーが「急行ニセコのC622+C623」を発売するという発表が同社のブース正面を飾ったことです。これこそ「バイオ路線の終焉」の象徴でしょう。

だって、函館本線のC62重連が終わったのは1972年。いまから39年前のことです。お金持ちの家の中学生が親にせがんで何とか見に行ったとしてもその少年がいまや50歳を超えています。まともに(?)に写した世代なら、いまや60歳前後かそれ以上でしょう。

一方、1972年から39年を戻したら、1933年、すなわち昭和8年。まだ丹那トンネルは開通しておらず、特急「燕」はC51が牽いて御殿場を廻っていた時代。満鉄に「あじあ」が登場するのもその翌年です。1972年当時、そんな時代に興味を持つファンは蒸機ブームのさなかといえども一握りでした。

いま、かつてはトミックスと新型特急の製品化を競ったカトーがそんなに古ネタの「C62重連のニセコ」に社運をかける大宣伝をしなければならない、というのはターゲット年齢層の大転換、すなわちバイオ路線の放棄に走らざるを得なくなった、ということでしょう。

しかし、何でも「C622+C623」に頼ればいい、という発想も、あのコンビを最初に世に売り出した私がいうのもなんですが、「いまさら、なんだか、なあー」という感じはします。

もう一つはトミーテックでした。今年は会場内に6畳相当ぐらいのモデル・ルームを設置して、その中でのホビー・ライフを演出しつつ、住空間を意識したインテリア・タイプの小型レイアウト盤商品を提示していました。つまり、大人らしいホビー・ライフのコーディネイトを商品化しようというもので、これも従来の「ブック型ケースに入った編成セット」を、限定生産で煽って狂奔的に買わせる「秋葉原戦略」からの明確な転換、と見ることができるのではないでしょうか。

(ホビー・ルームの提唱、というのは、私も以前から「どこかがやってくれないか?」と期待していたもので、「ジオコレ」以来、戦略のスケールの大きさではトミーテックが際立っていますね。)

同時に、会場から小娘タレント売り出しに、俄か鉄道ファンに仕立てるのに迎合するような動き、展示も姿を消しました。

数年前にはそういう「低レヴェル拡大路線」を信奉する理事や事務局スタッフが当時の商業的路線の事務局長を後ろ盾にこうした企画を持ち込んでいたようですが、理事会の勢力大転換や事務局体制の一新で「本格的なモデラーが落ち着いて楽しめる催事」に変わったのです。

ただ、この20年来の業界挙げての「低レヴェル拡張路線」が趣味界の伝統的構造の中で破壊してしまったものも、その損害は甚大です。たとえば「親爺さんが趣味のよき指導者であった、町の模型店」もそのひとつでしょう。低レヴェルのハウツウ情報で十分とし、「先人の作品からセンスを学んでいく」という知識醸成もそうです。そうしたものの断絶がこれからどういう影響になって出てくるのか、は心配ですね。

写真は今回のコンベンションへの私の出展の一部で、カトーのHOユニトラックにウエザリングを施しミニネイチャーの雑草を植えてローカル化したエンドレスに、西部劇に取材したシーンを再現した「レイアウト盤」を配置した「擬似レイアウト」。家内に水墨で描いてもらったモニュメント・ヴァレーの背景画付では4年ぶりの出品。「畳2枚のスペースがあれば本格的レイアウトのテイストは楽しめる」という提案です。

48cm×24cmの盤が3枚、その半分が1枚、それに発泡スチロールを彫刻してプラスターを刷毛塗りした岩塔が1基。西部ならでは大胆な風景構成なら、これだけでも非常に大きな空間を見せることができます。モジュール・レイアウトのように完全に風景をつなげてしまう苦痛より、「間は想像に任せる」という映画的転換も空想を拡げるのではないでしょうか?「レイアウト盤」は普段「ラーメン屋のおかもちにキャスターを着けた」収納ケースにスライド式に入っていて、そのまま移動できるようになっています。