週刊 汽車道楽 平成28年12月18日号



◇ G&D鉄道車輛復刻-38号機
この一月ほど、ストラクチャーの組み立てに没頭していたので、急に車輛がやりたくなりました。「何か、正月に走らせて愉しむ罐が欲しいな」と思い立ったこともありますし、NMRA会長で、『ナロー・ゲイジ・ガゼット』誌の副編集長でもあるチャーリー・ゲッツ氏から「その後、(没後の火災で喪失された)ジョン・アレン機の復刻プロジェクトはどうした?」という便りをもらったこともありますので、中断したまま丸2年が経ってしまった「35号機と38号機」のうち、大した手間でない「38号機」をとりあえず先行させて完成してしまうことにしました。

ジョン・アレンのG&D鉄道38号機は、シアトル郊外にあった「パシフィック・ファースト・メイル」(PFM)社が日本の川口に自社工場を構えた「ユナイテッド-アトラス工業」に数次製作させたブラス製の2-6-6-2軸配置マレー機、「シエラ鉄道38号機」をそのまま利用したものでした。

「シエラ鉄道No.38」の実機は1934年、ボールドウィン社がワシントン州の大手木材会社、「ウェイアーハウザー」の専用鉄道に「4号機」として納入したもので、マレー複式としては比較的新しい落成でした。

林業用鉄道の急曲線で使用するため、全長の割りに最大軸距は抑えられ、オヴァーハングが大きい印象となっています。

1952年に、カリフォルニア州ヨセミテ近くの小私鉄、「シエラ鉄道」に売却され、その社の38号機となって1955年まで活躍しましたが、大きすぎてこの鉄道の転車台に乗らないなどの不便もあって、再びワシントン州のレイオニアー木材会社に転売となりました。ここでは12年間も働いて、最終的に火を落としたのが1967年2月、と北米の現役蒸機としては最後まで頑張った1台になりました。現在は(まるで模型のように)上下分解された状態でオレゴン州内に保管されているそうです。

実機が急曲線用に動輪径も最大軸距も抑えた設計だったのを、1950年代半ば、ホーム・レイアウト向けに、急曲線通過に適合する設計で特定鉄道の特徴が薄いプロトタイプを物色していたPFM社が目をつけてHO製品化し、1958年から1975年までに、実に15回に亘って生産が繰り返され、その商品名が「シエラ鉄道38号」であったために、むしろ、その名で全米に知られた機関車になりました。この機関車の長い活躍の間で、「シエラ」が一番(しかも極端に)短かったのに、です。

PFM社の創業者、ライアン社長は、このように、実機ではほとんど無名の罐を模型界ではスターに押し上げるのに長けており、さらにセールス戦略として上手だったのは、ジョン・アレンに新製品の見本を1台進呈して、彼のレイアウトで活躍している写真を、自社のカタログや広告に盛んに使ったことです。アレン自身も二大模型誌に発表する自分のレイアウト写真に、それらPFM製品を登場させたので、製品は「架空鉄道のヒロイン」としてさらにイメージが拡散したのでした。

この「シエラNo.38」に関しては、いつもは新規導入の機に独自の機番を振るアレンすら、実機に倣ってG&D鉄道の「38号機」としたのは面白いことです。このプロトタイプはよほど「38」以外のイメージが浮かばないのでしょうか?アレンの数あるG&D鉄道機の中で、実機と同じ番号を振られた唯一の例です。そればかりか、どうも、このNo.38が基準となって、他のマレー機の、30番台の機番、Nos.35、37、39、が割り当てられた感すらあります。こうした話が書けるのも、「ジョン・アレン」が、米国において「鉄道模型文化史」となっている証拠でしょう。

さて、アレンは「PFMのシエラNo.38」を「G&D鉄道機」に加えるに当たって、特段の改変は加えていません。強いて言えば、ヘッドライトを点燈できるようにした程度で、作業としてはウエザリングがオリジナル化のほとんどです。

私のプロジェクトは「アレンの工作の追跡」が主題ですから、それに従いましたが、唯一こだわった点といえば、アレンの38号機と同じ、ごく初期の仕様の製品を敢えて探したことです。すなわち「カウキャッチャーがエンドビームにピン固定されているもの」で、かつ、「ベルがロストワックス以前の挽きもの製」であるもの、でした。

アレンのブラス製機関車はほとんどが1965年以前に入手されていますので、そのタッチを再現するには、「ロストワックス多用以前」にこだわるのは大事と感じます。

一方、私のプロジェクトは「G&D機を現代に蘇らせる」ですから、走行に関しては、現代のブラス製品に揃えたものにすることは加工の要点の一つとなっています。これには私が自分のレイアウトで使っているパワーパックは1.5アンペアで、往時の棒型モーターで長いブロックを列車牽引で走行させるのは無理、ということもあります。

ベースとした製品には米国ピットマン社の棒型モーターが装備されており、これが直接にスパーギヤーを回転させている構造ですので、これを現代のモーターに置き換えてリパワリングするについては、その取り付け構造にいささか腐心をいたしました。軸高さを0.1ミリ単位で微調整できる保持構造にしないとスパーの咬み合いがうまく行かなくなってしまうからです。

実は、この「38号機」のプロジェクトを、一見わけも無さそうでありながら、丸2年頓挫させたものは、この「モーターの保持方法」でした。真鍮工作が得意の方なら何でもないことながら、「不器用の私に出来る範囲で」ということになると、たちまち難問に変じるのです。

使用するモーターは当初、わが鉄道で実績豊富のファウルハーバー1724SR、とかんがえていましたが、この超強力モーターが最近、価格がバカ高くなったうえに入手難となってしまいました。それも困っていた矢先、リパワリング研究仲間の元綱正道氏がモデルズIMONから発売の「イモンコアレス16φ」が小型ながら1724SRに匹敵する強力ぶりで、C-C軸配置のワルシャート弁装置二組も十分駆動できることを実証されたのです。

これで、モーター性能の課題は解決しましたので、あとは取り付け構造だけの思案になりました。それが月初めのある晩、他の用事でパーツ箱の一つをかき回していたところ、以前買い置いた珊瑚模型店製の「16番用C62モーター台」というのが目に入りました。

「このモーター穴はどうもイモンコアレスに微修整で合うのではないか?」と感じ、さっそく現品どうし合わせて見ますとピッタリでした。

となれば、この支持台にモーターを固定しておいてスパーのタワー側の軸受けとの間に延長軸を渡し、そこに嵌めた上段スパーの咬み合わせを見ながら、モーター台をギヤーボックスのどこかに結合すればよいのでは?…という基本方針が導き出されたのはコーヒー1杯の間でした。ギヤーボックスの方を点検しますと、これまた、モーター支持台を半ばで切断すれば、ちょうど位置合わせしやすくなる面が、ぶれ止め金具に見つかりました。こうなれば、ギヤーボックスと支持台、支持台とモーターの間で2段に調整が可能となり、私の危なげなピンバイス仕事でもなんとかやりこなせそう、という目処が立ちました。

ここまで見えたら一気にやってしまったほうが良い。なまじ先に延ばすとまたぞろ気持が冷めてしまう…と、その晩、早速に工作を実行し、翌日イモン池袋店に走ってモーターをもう一つ購入、同じ「シエラ38号」が土台となる「G&D35号機」の分も加工してしまいました。

これで、あとは「いかにアレンのウエザリングを模写するか?」という、毎回の挑戦です。

私のアレン研究の何よりの教科書である『MODEL RAILROADING with JOHN ALLEN』は、初版はMR誌版元のカルンバック社から出ましたが、近年再版したのは当初の編集者であったボブ・へイデン氏が新たに起こした「ベンチマーク・パブリケイション」という会社で、こちらの版は増補版として、PFM社がカタログや広告に使ったアレン撮影の機関車写真がかなり豊富に加わりました。

本文ページの写真はあくまでもレイアウト主体ですから、ほとんどの場合、写っている機関車の姿は小さく、ウエザリングの細部まで観察するのは大変なのですが、こちらの商業用写真は機関車が主題ですのでウエザリングがかなり解析できます。

この本全体では38号機は、表紙、グレート・ディヴァイドの機関庫風景3葉、付録ページのPFM向け写真に3葉、カラーで姿を見せておりますが、それらを見比べると、アレンはどうも保有の途中でウエザリングをやり替えているふしが伺われます。

実機でも当然ながら毎週のように汚れ方は変わるのですから、模型に於いてもウエザリングは時折替わって全くおかしくないわけで、アレンはその「当たり前」を実践していたことになります。これも今回の取り組みで新たな勉強になりました。G&D鉄道は時を固定せず、日々生きていたのですね。

私のウエザリングは機関士側を機関庫での写真、機関助士側をPFM向け写真を手本にしました。この教科書の著者であり、MR誌編集長としてたびたびG&D鉄道を訪問していたリン・ウエスコット氏の解説によれば「この機は鉱山付近での仕事と鉱石列車に多く使われている。ウエザリングは他の多くの機より赤っぽい」とされていますので、今回初めて、ターナー社の「アクリルガッシュ」の「ジャパネスク カラー」から「消炭色」と「赤炭」というのを使い、直接ドライブラッシュにしたり、タミヤX20Aで溶いて伸ばしたり、して使って見ました。「教科書」の写真の罐側にほの浮かぶ赤みはうまく出せたように思います。またテクが一つ増えました。やっぱり、上品なウエザリングをやるには何より手持ちの絵具を増やすことですね。薄皮1枚以下の色層での勝負ですから…

わが「G&D #38 II」は久しぶりにPFMサウンドのスピーカーも搭載してみようと思います。ヘッドライトはさかつうギャラリーのマイクロLEDと方向切り替えユニットで点燈することにし、ムクの挽きものライトには、咬んでパーツを壊さないよう、下ろし立てのドリル刃で発光体の分の座繰りと導線の貫通穴を開けました。

これらの準備がすべて整ったところでファイナル・アセンブリー前の記念写真を撮りました。私、子供時代から、鉄道模型って、この状態で眺めているのも機関車工場風景のようで、好きなのです。

週刊 汽車道楽 平成28年12月11日号(2)



◇「魚介加工場」のその後

「クラム・ベイ Part 6」の核になる、ファイン・スケール社の「エンポリュウム・シーフード・カンパニー」の進行を中心に廻った1週間でした。

「懸命に取り組んだ」というわけでもなかったのですが、突然暇になってしまって「まあ、これでもやっているのが一番人畜無害か」と…


結果、地上建造物の作業の90数%は終わった、という感じです。このキットはジョージ・セリオスのプロデュースによるものとしては珍しく、水上部として桟橋があり、それを含めた全体の作業量では70%程度ですが…

今回はさすがに歯応えのあるキットでしたね。「クラム・ベイ」全編を通して、「Part 2」での造船所と双璧でしたろうか?


最初は、写真で一目見ても構造が頭に入らないほど複雑な外観と箱に目一杯詰まった膨大な数の部材に呆然とし、それが、組んでいくうちに、効果的な演出となって各所に現れてくると、オーナー・デザイナー、ジョージ・セリオスのペースにすっかり嵌まってしまう。

世界のあらゆる種類の鉄道模型キットで、ファイン・スケール社の製品は、物価スライド以上に値上がりして、しかも長期に値崩れしない唯一の例ではないか、と思うのですが、そのカリスマ性は、やはり「見せ場を作る上手さ」ゆえなのでしょうね。


ファイン・スケール社のキットは、すっかり当今の木製ストラクチャーの標準となった「レーザー・カット」タイプと違って、自分で現物に合わせて採寸、切断する工程がむしろ主となっています。この1週間のうちにも、バスウッド薄材からアングルを付けて切り出す軒材先端87、屋根のトタン波板83といった単調作業がありましたが、そうした辛気臭さも結果としてちゃんと報われるからこそ、また手がけてみたくなるのです。


いまや日本の鉄道模型専門誌が軒並み、国粋主義、鎖国方針に読者を閉じ込めて、世界にはこんなに楽しく、しかもカッターナイフとピンセットと2,3の接着剤とピンバイス、という簡単な道具で食卓の上でさえ組める、という家庭的なキットが売られていることを知らせまいとしているのは、実に罪深いことですね。

この1週間はまた、「ひたすら上面を作る日々」でした。それまでは、とりあえず側面、であったのから替わって、屋根上を作っていったわけですが、このキット、屋上への階段塔屋、看板、鐘楼、給水塔、と盛りだくさんで、期待にたがわず、ランドマークとしての要件を満たすものになりました。


この6,7年、眠らせていた情念が呼び覚まされたように、立て続けにストラクチャーを組み立てましたが、そこで掴んだのは「ストラクチャーは屋根上の表現が大事」ということでした。

レイアウトというものは圧倒的に上から眺めることが多いものです。つまり、レイアウト上のストラクチャーでまず目に入るのは屋根の上、となります。


ですから、いくら側面が賑やかでも、屋根上が無表情な建物群で街区を構成すると、それはいくら実物通りといっても、眺めとしては間の抜けたものになってしまう。


すなわち、街場のレイアウトというのは、実は屋根上が勝負どころなのだ、と、これはD&GRNの“大門通り”を手掛けて気が付いたのです。なるほど、米国のHO界では、煙突、換気筒の類だけでも数社で何十種類というパーツが売られているわけで、改めて「さすがレイアウト文化の国」と感嘆しました。


今回のこのキットも、そういう角度で見ると、セリオスのストラクチャー・デザイナーとしての卓抜のほどが分りました。


ちなみに、私は、レイアウト・ビルダーとしての彼は、米国の模型界が絶賛するほどは評価していません。物の配置がせせこましく単調で、眺めに緩急が取れていないから、観賞する側の心が落ち着かない。そこに留まってしばし時を過ごしたい、という気が起こらない。そこがジョン・アレンの見せるゆとりと断然違うところ、とは感じています。

そのあたりで、実は、「クラム・ベイ」では、セリオスの製品を「セリオス的に使わない」、「セリオス以上に効果的に使って見せよう」という野心を抱いているのです。

ともあれ、私自身、米国型を選択して良かったな、と思える一つは、こうした多様な経験ができ豊富な知見が得られたことです。

当初は部材と型紙がぎっしり詰まって、作業後、元に収めるのに困るほどでした、このキットも、ある時点を境に、急速に中身が減ってきました。建物本体にはこのあと、窓のひさし、荷捌きデッキと出入り口へ階段、給水塔への配管と梯子。ボイラー用の高い煙突などが付きます。あとはほとんど、桟橋用の木材だけです。

いつの間にか、次第に出来てきています。