アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.59

_DGR4070_s

クリスマスですね。

近年は人込みに出ると、ドッと疲れるので、よほどの用事が無ければ盛り場には行きませんが、今年などは池袋、新宿だけでもクリスマスのデコレーションとイルミネーションに、一瞬襲いかかられるような幻惑、といいますか、目のくらむような思いがしました。

あの、夏までの「節電節電、明るさ自粛」の合唱はどこへいったのでしょう?ちょっと振れ幅が大きすぎるような気がしませんか?

それにしても、日本人はクリスマスが好きですね。そのくせ、フランシスコ・ザビエルが最初のキリスト教伝道師として来日して以来550年も経つのにキリスト教信者がいまだに全人口の1%を超えられない国、というのも日本だけだそうです。古くは聖徳太子の時代に中国経由の「景教」としてちょっと入った痕跡もあるそうですが、われわれの意識には全く伝わっていません。

私は今では古神道と北米インディアンのアニミズムに共通する「万霊教」とでもいうような自然霊信仰に傾倒していますが、それ以外を邪教視するまでは頑なでもありません。日照が薄く短くなって、空気は底冷えがする、陰気な時期ですから、なんでもパーッと華やかな、賑やかな騒ぎは北半球では共感されるのでしょう。ちょうど冬至を過ぎて日照が回復し始める転換点ですから、その安堵感も手伝うのではないでしょうか?

キリストの生誕が7月とか8月だったら、日本人はこんなにクリスマスを騒がないでしょうね。それが証拠にこの時期、南半球は夏の盛りですが、南半球のクリスマス風景は日本にはほとんど伝えられません。やっぱりクリスマスは雪景色とともになくてはいけないのです。しかし、キリストの生誕劇に雪は無縁です。

そうやって消去法で考えていくと、少なくとも日本では人口1%以下の信者さんを除くと、クリスマスのメイン・キャラクターはどうもイエス・キリストではなく、やっぱり「サンタ・クロース」ではないでしょうか?

で、改めてサンタのキャラクターを分析(?)してみると、結局、その愛され方は恵比須、大国とほとんど重なっていることが分かります。特に、「大きな袋を肩に掛けて」というところでは大黒天とサンタはそっくりで、サンタを漢字で表すなら「西洋大国」と書けばぴったりでしょう。

恵比須とサンタにも共通点はあります。恵比須は七福神の中では異色の存在です。どこが、といえば、あの方だけ唯一日本由来の神様で、あとの六神はすべて異国の方です。弁天と毘沙門天、大黒天はインド、布袋、寿老人、福禄寿は中国由来です。

サンタもフィンランド起源といわれ、キリスト教とは本来縁もゆかりもない、北欧の伝説的存在、つまり一種の土着神です。先週オランダからやってきていたスーパー・トゥリー栽培農家の主、ゲラルドも「サンタはキリスト教とは関係ない北欧から始まった祭りがキリス教のクリスマスに一緒になっただけだよ」といっています。ですから、サンタの絵は絶対にイエスやマリヤとは一緒に描かれません。サンタはサンタ、キリストはキリスト、です。

キリスト教は一信教、といいながら、ヨーロッパへ行くとちょっと甘いところもあります。20年ほど前、ボルドーの名だたるワイン・シャトーを見学にいったことがありましたが
どこも一隅にギリシャ神話の酒の神、バッカスがきちんと祀ってあります。キリスト教の「神」が本当に全能と信じるなら、バッカスを祀らなくても、全能神に祈れば酒はきちんとできる道理なのですが、そこが人間の心のあや、というかロマンでしょう。

でも宗教というのは、それぞれの熱心な信者さんには失礼ですが。そのぐらい片目をつぶって付き合うのが頃合ですね。何教でも信心に固まって目が吊上がるようになるとやばいです。進歩的な文化人の中には、日本人を宗教的にいい加減のように言う人もありますが、こと信仰に関してだけは先天的に万霊信仰に裏打ちされてバランス感覚が働いているのだろうと私は見ています。われわれの趣味でもそうですが、何事も片目をつぶって見られるぐらいの度量というかゆとり、寛容が世の中を丸くします。

クリスマスを「あれはキリスト教の祭りだから日本人が信じてもいないのに浮かれるべきではない」と、国粋主義のようにいう人もあれば「クリスマスの奇跡を見てキリスト信者になりなさい」という信者さんもありますが、私としては「何もそう大上段に振りかぶらないで、西洋の恵比須講ぐらいに、サンタは八番目の福の神さんぐらいに考えて、暮らしの彩りと思えばいいではないか」と感じています。いわば「サンタ祭り」、「サンタ講」ですね。

サンタが愛されるのは「与える気持ち」の象徴だからでしょうね。もっとも、あの恰好で取り立てに来られたら、この暮に来て、たまったものではありませんが‥「与える気持ち」というのは人を安らかにします。やはり寒い時期はことのほか安らぎが必要ですよね。そもそもサンタのコート自体が温もりの象徴です。あれが同じ色でもTシャツだったら、安らぎを感じませんでしょう?

と、今日はなんだかクリスマス論のようになってしまいましたが、せめてこの二日間ぐらいはガタガタ騒がずにくつろぎたいものです。

で、風邪を引いて動きが鈍かった一昨日、写真のような車輛を今年のクリスマス用に拵えてみました。と、いっても人形を乗せただけですが‥

このカブースはここ3,4年前かそのぐらいのことと記憶していますが、アサ―ンがクリスマス商品として発売したもので、車体自体もサンタ・フェ鉄道の標準鋼製車がプロトタイプですが、デコレーションも実在したものです。中国での組み立て済み、塗装済み完成品となってからの発売で、発売当時は気にしていながら身辺が落ち着かず、手に入れ損なってしまっていましたが、つい最近新品状態で入手できました。

カブースはご存知のとおり、米国の車掌車ですが、本来の役割のほかに、沿線で孤立した信号所や駅、保線区の職員の子弟を、最寄りの町や村の学校に通わせたり、生活物資を届けたりもしていました。ちょっとした用事で出かける地域住民、開拓民の脚になっていることもありました。

もっとも、車掌車という存在は洋の東西を問わず、同じようなことになるようで、満鉄でも車掌車は開拓地の学童通学の便を供していたそうですし、わが国鉄でも集落から孤立した根室本線狩勝信号場の官舎に住む職員の子供たちが車掌車への便乗で通学する姿を臼井茂信氏が記録しています。(プレス・アイゼンバーン刊『狩勝紀行』に収録)

米国ではさらにこうした孤立地域の子供たちに、クリスマスには職員が扮したサンタがカブースに便乗してプレゼントを配って歩くのを恒例にしている鉄道もあったようです。

このサンタ・フェ鉄道のカブースが実際そういうこともしたのか、単に宣伝用のデコレーションであったのかは知りませんが、カブースって妙にサンタに似合うところがあります。

それで当D&GRN鉄道では、山間部の子供たちにサンタ・カブースがプレゼントを配っていくことにしました。人形は買い置いたプライザー製で、いまでは1体ずつ販売されているものです。やっぱりサンタ・ガールも一緒に居た方が、華がありますから、両デッキに一人ずつ配置しました。

こうした狭い場所での人形の固定は、ほんの僅かなズレで顔の表情や体の動きの自然、不自然を左右します。ですから「人形を乗せました!」と簡単に書くものの、実際にはコンマ1㎜単位での微妙な検討をしています。

最近それに便利に使っているのが、“貼り直しの利く接着剤”、ウッドランド・シーニック社の「シーニック・アクセント・グルー」(Scenic Accents Glue)です。

これは前にも書いたと思いますが、薄く塗って40分ほど置いておくと白から透明に変わりますので、その状態になってから他方に押し付けるとかなりの接着力を発揮します。広い場面に塗ればウエイトの半固定にも使えるほどです。(但し粗面相手が苦手)

人形の靴の裏にこれを少量塗って効力が出たところで、位置の微調整に使い、決定したら足許に少量の瞬間接着剤(耐衝撃タイプが私は好き)を爪楊枝で垂らして本固定します。

本来アクセント・グルーだけで十分人形が立っていてくれれば使い回しが利くのでありがたいですが、まだそこまで強力ではありません。レイアウトを眺めて人形の倒れているぐらい興ざめはないので、私は原則、本固定しています。

ところで、カブースの台車は一般貨車と同じベッテンドルフやアーチバーが主ですが、原則リーフ・スプリングすなわち板バネです。稀に一般貨車からの応急改造車とかでコイル・スプリングのままのものもありますが、まず板バネと思って間違いありません。

アサ―ンのカブースも私が中学の頃(大分昔の話ですね)にはきちんと台車をリーフ・スプリングにつくり分けていましたが、いつしか一般貨車用のコイル・スプリングのものに統一されてしまい現在に至っています。

分かっていて直さないのもいかにもズボラですから、これはNMRAコンベンションの会場で買ってきたカナダ製のリーフ・スプリング型に交換しました。メーカーが異なっても高さは無調整でぴったり合いました。

で、めでたくクリスマスに間に合ったわけですが、このように「ちょっとした、そしてほのぼのとさせてくれる工作の種」を与えてくれるところも、私にとっては米国型の魅力です。これが、いまに始まったことでなく、私の子供の頃からそうだ、というのは、やはりライオネルあたりがバックグラウンドにある所為でしょうか?日本型の世界は私から見ると硬すぎるように思えて仕方がありません。

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.58

_CO22680_s

毎年12月第2週は“オランダ・ツリー”(旧とれいんギャラリーでは「広葉樹セット」と呼んでいました。アメリカでは「スーパー・トゥリー」という商品名)の栽培者で「ミニ・ネイチャー」の海外販売代理人でもあるフレヴィー社のゲラルド・ニーヴェンヒュージー(オランダ語で姓の方はいまだに正確に発音できません)氏が来日します。メイン・ビジネスであるポテト農場が農閑期であることを利用して、12月は日本、1月は米国、2月はニュルンベルクのトイ・フェアーというのが彼の定例スケデュールになっています。毎年、「ミニ・ネイチャー」の新製品サンプルを持参し、日本総代理店である日本文化リサーチ+エリエイと翌年の展開を話し合い、その間に若干交流のあるカトーを訪問したり、私と買い物、小旅行を楽しみます。

今年は、米国でレイアウト用品を専門に売っている通販・卸業者で自社製品の開発にも熱心な「シーニック・エクスプレス」(Scenic Express)のジム・エルスター(Jim Elster)社長も日本で彼に合流しました。

ゲラルドより一足早く12月10日に到着したジムは、8月のJAM主催「国際鉄道模型コンベンション」を視察に訪れて以来、二度目の来日です。

「シーニック・エクスプレス」社は米国における「スーパー・トゥリー」と「シルフロー」(米国での「ミニ・ネイチャー」の商品名)彼らはいま、ヨーロッパ以外の市場が小さいドイツの「ヘキ」(Heki)社の世界展開に協力もしていて、今回はそちらの相談が主たる用件での来日でした。

米国と並んで鉄道模型の二大発信国の一方の雄であったドイツも若い世代の鉄道模型離れに加えて、メルクリン社の一事倒産による入門者用商品のブランクもあって、このところ市場が低迷しており、レイアウト用品メーカーもそのアオリを受けているそうですが、へキ社の現在のオーナーはまだ若いが取り分け意欲的で新製品も過去のヘキ製品のイメージから一転して高級志向になってきているので何とか応援したい、というのがジムとゲラルドの目下の課題です。

ヘキ製品も昨年から日本文化リサーチ+エリエイが日本の総代理店(というと大げさですが)になりましたが、正直今年1年はまだ手探り状態でした。そこでジムが、彼が考えたヘキ製品、さらに自社製品の効果的な使い方を直接伝授してくれる、というのが今回の来日の眼目でした。

NMRAナショナル・コンベンションのトレード・ショウをはじめ米国のモデル・トレイン・ショウで名物男といえば、筆頭に挙げられるのはまずバックマン副社長のリー・ライリー氏とこのジムでしょう。

二人とも会期中のほとんどを自分のブースに立って、通りかかる人を積極的に呼び止めては自社製品について熱っぽく語ります。その活発な姿はショウ全体の盛り上げ役にもなっている感さえあります。

ジムの場合は予めさまざまな演出まで用意して、シーナリー製作の実演をやって見せ、また観客にも体験させるのをオーナー自らが毎日繰り返すのですから、大変な体力と熱意ですが、「シーナリー作りのような地味な作業に興味を持たせるには、そういう熱い気分を共有させ、その場から材料を買って帰らせるのが一番だ」というのが彼の持論です。

彼の販売はそうしたホビー・ショウでの即売と通販、それに卸業務から成り立っていますが、通販でも「受注同日発送」をモットーにしているそうです。「モデラーがやる気になったら、すぐに必要なものを届けなければ、その熱意が冷めてしまう惧れも大きい。だから熱を冷まさないような業者の努力こそ着実な着工につながり、注文主たちのレイアウト製作は進行する。多くのレイアウト製作が着実に進行することで自分のビジネスも着実に伸びていく。いつか作ってみたいという仮需要だけでレイアウト用品を売ることには限界があるに決まっている」というのが彼の哲学です。

「手に入るまでに日数が掛かると、その間に熱が冷めてしまう」というのは、実にモデラーの心理を的確に捉えていますね。日本の鉄道模型業界でそこまで顧客心理を分析している人がいるでしょうか?大概の通販では「注文さえ来てしまえば安心してしまう」のが実情ではないかと思います。

で、私の事務所でも「手を加えてよいジオラマはないか?」というので用意すると、早速いくつかのヘキ新製品や自社製品を使っての新テクニックの実演をやって見せてくれました。「こういう場所の自然はこうなっている。だから、こういう風にするといかにもそれらしく見える」という理論を踏まえた彼の解説は確かに分かりやすいもので、私には十分同感できるところ、自分の従来のやり方が確認されたところが多々ありました。こういう実演をやりながらトレーラーを引いて、ミシシッピ以東を主に年間30以上のモデル・ショウを回っている彼には、レイアウト用品の業者、というより、まさに「レイアウト製作の伝道師」という肩書きがふさわしいような気がします。

1週間の滞在中、歴史や文化に触れるのが好き、という彼を案内して京都日帰り観光や箱根への日帰り温泉浴、浅草での買い物などに同行しつつ親交を深めました。カリフォルニアの大学で美術を学び、両親が始めたドール・ハウスのビジネスを兄が引き継いでいるのを一事手伝ったのち、自分は鉄道模型を主体にレイアウト、ジオラマの材料の専門業者という新たな挑戦を始めた、とのことで、カリフォルニアでのミュージシャンや服飾デザイン、紅海でのスクーバ・ダイビングのインストラクターなど多彩な経験も持つ彼のシーナリーに関する視点にはそうした豊かな経験に裏打ちされたものを移動中、拙い英語力ながら感じました。

「落ち葉は踏めばシャリシャリしたものだよね?ならばスポンジの粉で十分なのかい?」こういう感性が彼の製品開発や商品開拓のバックボーンにあるのです。

来年のJAMコンベンションにも来日することを考えているようで、もしかすると彼の実演を皆様もビックサイトでご覧になれるかもしれません。