アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.81

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今週もう一つできたことは、5月にD&GRNに新規入線したサザン・パシフィック鉄道(SP)のGS-6クラス4-8-4を「入線整備」して、2000年に入った、同じSPのGS-2と重連できるようにしたことです。

蒸気機関車だけは、触ったときの金属の冷たさ、断面が見える部分での肉薄感、それから補重などの微調整やモーターの換装による性能向上の楽しみとか、動輪の軸箱可動による、線路の継ぎ目への当たりの柔かさ、などから、真鍮製にこだわっています。(古いダイキャスト製も好きですが)

このこだわりさえ捨てれば、人生がどれほど楽だったか、とは思うものの、「行けるところまで行って見たい」という妄念は止みがたく、米国型の場合、製品のバラエティーは汎用製品よりはるかに豊富ですから、今週のように、実物写真集で佳い写真をみた編成など再現できたときは「生きていてよかった!金策に苦労した甲斐があった!」と独り納得するわけです。

もっとも、趣味というのは、「困った、どうやって金策しよう?」というような中から搾り出すようにやるから面白いようで、この50年ぐらいの間に私の脇を、何人かの、大金持ちで「手当たりしだいにいくらでも買える」というブラス・モデルのコレクターが通り過ぎていきましたが、大体みんな10年ぐらいで飽きて、高級外車とか若い女性との交際の世界に去って行きましたね。

いいのか悪いのかは別にして、車輛集めが長続きするためには、「あの車輛はコレコレの理由で絶対に必要だ!」という執念というか、まわりに鬼火が漂うような妄念が欠かせないのでしょう。ただ「生産台数が少ないから、売り切れそうだから、特製品だから、他人が持っていないから」というだけで買い集めても、価値観が他人の評価と相対的ですから、愛着が涌かないのでしょう。

そこへ行くと、自慢ではありませんが、(自慢になるか!という声あり)、わがD&GRNの車輛たちは、どれを差して訊ねられても、即座に「それは何々に牽かせるためで、それは何と重連を組むため、それはこういう編成に入るもの、これは何々用の後部補機、このカブースはあの機関車と時代考証で対になっていて、機関車のレタリングが変わるとカブースもこちらの方に‥」という存在理由が説明できます。それぐらい、車輛どうしが相関関係を持っているのです。そのかわり、いつも清水の舞台から飛ぶような決断を繰り返しているので、もう生命保険にも入れません。

話は脱線しましたが、新しく買った機関車に何故「入線整備」が必要か、といいますと、まず、「スムーズなカーヴ通過のため」です。

メーカーには試運転線はあっても(日本のほとんどのメーカーはこれさえありません)、あくまでも平坦線でカーヴも単一方向で、渡り線の鋭いSカーヴはありませんし、走行も単機です。ですから、製品に想定される設計条件と結果は、概ね単一カーヴをクリアーすれば合格とされています。

ところが一旦D&GRN鉄道に入線しますと、機関車はその持てる牽引力を目一杯引き出されて列車を牽引させられますから、テンダーのカプラーや機炭間のドローバーに掛かる荷重は絶大なものになり、従って、機関車本体の左右動もそれに引かれて大きく制限される事になります。また、後へ引かれることで主台枠の後部も下がる事があります。複雑な連続ポイントの通過も単一Rでの走行とは車体の左右動の状況は全く異なります。

こういうことから、電極が反対の機関車部分とテンダーが接触したり、従台車の首振りが制限されて、脱線したり、ショートしたり、が起きます。つまり、単機運転なら当たらなかった箇所が当たるようになるのです。

D&GRNのようにきちんとRや勾配を管理し、しっかりカントを付けていてさえ、これですから、組立て式や道床つき線路を仮設した運転会に真鍮製の蒸機を買ったまま持ち込んでも、スムーズに走らないのは当たり前です。

軽い接触によるショートなら、3Mの薄手絶縁テープの小片を貼ることで対処しますが、明らかに従台車首振り不足(横方向だけでなく、縦方向の場合も結構多い)の場合には、従台車の支点部を平ヤスリで薄くしたり、肩を丸めたり、それでもダメなら、主台枠後部の支障する部分を回転ヤスリで掘り込むなどします。特に近年の製品は主台枠を実物に似せよう(どうせ、ほとんど見えないのに)と作るために、そこに実物よりは高いフランジが当たるケースが増えました。特に、傾斜した灰受けを持つ石炭焚きに多いです。

ほとんどの新規購入蒸機にやる「入線整備」は、テンダー台車のセンターピンの、硬過ぎるスプリングの交換です。これは、この20年来の製品はすべて対象、といってよいぐらいです。硬過ぎるスプリングのままで、重い編成にぶらさがられると、カーヴで車輪がウイリーして、集電不良や脱線を起こすからです。これは蒸機のみならず、ほとんどの真鍮製ボギー車がチェックの対象になります。「勾配途中のSカーヴ」も存在するD&GRNですから、ボギー台車の線路への追随は常に良くなくてはなりません。

これはスパイク・モデルの、柔かい燐銅製に交換します。2軸先台車でも、時折、圧着バネの強すぎるのがあって、これも機関車後部を押し下げて、従台車の首振り不良やキャブ屋根とテンダーとの接触を起こしたり、動輪の前半分の粘着を殺いで牽引力を低下させたりしますから、同様に交換します。

次に、ほとんどの真鍮製蒸機は「前重後軽」つまり、ボイラー・ウエイトが前方に偏在しているために後部の動輪の粘着が弱く、本来出せる牽引力の5~6割ぐらいしか出ていませんから、上下を分解して、ギヤーボックス両脇のボイラー内側に私オリジナルの半月型ウエイトをゴム系接着剤で貼り付けます。これは最初、プレス・アイゼンバーンの商品にしていましたが、ほとんど売れなかったので、いまは鋳物屋に個人発注して、池田健二氏とシェアーしています。5mm厚単位で、1台に大概10枚から12枚ぐらい使いますが、時には20枚前後まで飲み込んでしまうのもいます。そういうときには沈み込みすぎないよう、軸バネを太いものに交換したりもします。

重連で前位機となる可能性のある機関車では、テンダーのケーディー・カプラーのトリップ・ピン(作動腕)を180度反対に廻します。これは、ピンが次位機のカウキャッチャーやスノープラウに当たって、カーヴで脱線が起こるのを防ぐためです。

カプラーを裏返してプライヤーでトリップ・ピンの根元をしっかり掴み、ナックルが開く方へジワジワと廻して、元の状態と180度反対まで持っていきますと、ケーディー方式の磁気解放型カプラーは正規と全く同じ作動をします。

これは以前、私が教えたのをさも自分の新発見のように書いていた『とれいん』のスタッフがありましたが、ケーディー社がいまのMKDシリーズ、すなわち磁気解放方式を発売して3年目ぐらい、私の中学始め当時の『Model Railroader』誌のヒント欄に載っていたものです。

ただし、これができるのは旧来のヘッドのケーディーで、しかもメタル製のものだけで、銜えの部分が脆い樹脂製や近年の「スケール・ヘッド」タイプでは壊してしまいますし、マイクロトレインズのN用やケーディーの711のような、胴自体が2分割されているタイプも解放機能は作動しません。

トリップ・ピンを最初から後方に向けたものは、近年ではプロト2000が「プロトマックス」カプラー(ケーディーのコピー品)の一つとして「リヴァース・トリップ・ピン」仕様として販売していて、私も一度買ってはみましたが、通常のヘッドのケーディーからなら2秒で加工できるので、以後はわざわざ買うこともないと思いました。

以上が、通常の「入線整備」ですが、今回のSP GS-6はプレシジョン・スケール社(PSC)の製品にしては珍しく、最初から問題点が少なく、結果的に、テンダー台車のセンター・ピンのスプリング交換とカプラーの交換(スケール・ヘッドからトリップ・ピン加工のスタンダード・ヘッドへ)と、間違った塗りになっていた前頭スカートの塗り足しだけで、とりあえず入線OKとなりました。ウエイトのバランスも良く、足すかどうかは微妙。今後、いろいろな編成を試して決めることにしました。

「PSC製品には珍しく」と書いたのは、この社の製品はしばしば、ディテールの盛り込み過ぎによるカーヴ通過でのトラブルとか、考えすぎのワンタッチ・ドローバーの作動不全による通電不良とか、で、韓国の同じメーカーを使いながら、PSCの製品に限って中々すんなり走らない、ということが多いからです。

しかし、PSC製品に限らず、ワンタッチ・ドローバーというのは列車を牽引させるとなると、やっぱり圧着が安定しないことによる通電不良が多いですね。私は、少し調整しても改善しない時は、旧来の方式(オーヴァーランド社の分配品が廃止になる前に相当数を買い置き)に交換したり、中型機以下なら収納の際に分離することが少ないので、テンダーと機関車をラグ板ビス止めで直接結線したりしてしまいます。

「製品は完全であるべき」と勝手に思い込んでいる今時のコレクターなら、こういう場面がでれば怒るのでしょうが、私は「メーカーより自分の方がハイレヴェル」と信じ「どんな製品も自分にとっては半製品、素材」と割り切っていますので、「入線整備」に知恵を使うのも楽しみの内です。

PSC製のGS-6はブー・リムという、いま韓国で蒸機ものでは定評のあるメーカーの作で、今回重連に組んだのは、いまは無きチャレンジャーインポーツが、これまたいまは消滅してしまった、世界最高のブラスモデルメーカー、サムホンサに造らせたGS-2です。

GS-2とGS-6を重連に組んでみたかった理由は;

1. SPが第2次大戦中に輸送力増強のために造ったGS-6はSP最後の新造4-8-4となったが、最初の流線型4-8-4として造られたGS-2の72インチ動輪から、続くGS-3、4、5で一旦80インチ動輪になったのを、牽引性能重視で再び72インチ動輪に戻って、性能的には実質同等になっている。その、同じ72インチ動輪の最初と最後の外観の対比を、重連にすることで観賞してみたい。
2. 元は完全に流線型で「デイライト・カラー」に塗られていたGS-2も大戦中からスカートを撤去して黒塗りとなり、キャブの開放、密閉以外の違いはGS-6と見分けにくい姿となり、両形式とも戦後はサン・フランシスコ(オークランド)とポートランド(オレゴン州)を結んで、途中勾配の多い、シャスタ・ルートに集中していたから、実物でも重連に組まれるチャンスはあったはず。

で、やってみると、手掛けた韓国メーカーも発売した米国のインポーターも違うのですが、ギヤー比とモーターが同じだったようで、両製品のスピードは大差ありませんでしたし、GS-2の方はすでに前部カプラーをダミーからケーディーに交換してありましたから、即重連が組める事になりました。いままでキャブ以外は大差無いものと思い込んできた両形式でしたし、昔のカツミ製もパーツをほとんど共用していましたが、きちんと造られたモデルで比較してみると、煙室前の整備デッキが、戦時中に造られたGS-6では作業しやすいようにかなり広くなっているのが判りました。つまり、GS-2とは前頭部の印象ははっきり違うのです。(やっぱり写真だけでは‥無理しても買ってみるもんだ!と自分を納得させる)

牽かせる列車はシャスター線の重鋼製客車編成もいいが、戦時中に生産されて「ウォー・ベイビー」と通称されるGS-6にちなんで「兵員輸送列車」を考えました。ただし、両機のテンダーのレタリングが1946年以降のものなので、米軍の兵員輸送専用車、通称「トゥループ・スリーパー」は第2次大戦時のプルマン・グリーンではなく朝鮮戦争時のカーキ色時代のものにしました。

写真はその編成です。先頭が今回入線のGS-6,次位がGS-2です。編成1輌目は旅客列車用冷蔵荷物車。これはしばしば荷物車代用としても使われています。2輌目は荷物車。兵員輸送列車の荷物車は、必ずしも走行する鉄道のものではなく、そのとき手近で空いていたのが使われることが多かったようですが、ここではロック・アイランドとシカゴ・ノースウエスタンという、SPとの連絡運輸が頻繁であった鉄道のものを選んでいます。

3輌目と4輌目は米軍の傷病兵専用車です。第2次大戦当初にはプルマン重鋼製寝台車からの改造車が用意されましたが、それでは不足してきたことから、大戦末期にようやく新造が決まりました。しかし試作分がようやく完成したところで終戦となってしまい、第2次大戦にはほとんど寄与しなかったと聞きます。それが4輌目に連結されている分で、モデルはコーチ・ヤード社の製品です。ただし「試作は1輌だけだった」と書いている本と、終戦前に数輌は完成したように読める資料があり、そこはきちんとは知りませんが番号が300番代です。

3輌の方は本格量産車で、試作車とは窓の配置、寸法が若干(ナシ20の前期車、後期車程度)異なります。こちらも1945年製とモデルに箱書きされていますから、対日戦勝後の落成、ということでしょうか?番号は400番代で100輌は造られたようです。これはオーヴァーランド・モデルズの製品です。病客車すらブラスモデルで2種類も出てしまうのですから、米国の業界の製品リサーチ力、制作意欲は日本とは桁が違います。(両方とも即完売となった市場の反応も凄い)

5輌目以下はいわゆる「トゥループ・カー」(兵員車)と呼ばれるもので、窓の大きいのが寝台車、小さいのが調理車です。一番前の、赤十字を描いた車は傷病客車用の調理車です。傷病兵客車は空襲に備えて、屋根にもレッド・クロスを描いています。空襲など心配ない米国本土用でも、米国は自分の側に有利ならば戦時国際法はきちんと使いますね。(自分が守るかどうか、は別です)

兵員寝台車も前期、後期があって、前期車はステップが大きく、その分、台枠が切り込まれています。後期車は、ステップは外付けで小さく、台枠は切り込まれていません。戦争が終われば余剰になることは明らかだったので、そのときには荷物車にすぐ転用できるよう考えていたそうです。(勝ち戦を想定して戦争している、というのが完全に発想の違いです)

調理車は寝台車数輌に1輌の割で連結されたようですが、これも寝台車よりは遅れて大戦末期に出てきたように書かれています。それまでは一般の荷物車に調理器具を積んで代用していたようです。そういうこともあって「朝鮮戦争時」とした方が、全部が確実に出揃った時期、ということになります。

「トゥループ・カー」はPSC社の真鍮製で、近年一時発売されていたウオルサーズのプラスティック製ではありません。ウオルサーズからは寝台の後期車の第2次大戦塗りしか発売されませんでした。但し、アライド・フルクッション台車の転がりの悪かったPSCオリジナルは、これまた短期間分売されたウオルサーズのプラスティック製に交換してあります。「ウオルサーズの中国製品はすぐに絶版になるから、買い込んでおかねば危ない」と50輌分買込んでおきましたが、「案の定」で、もはや大量入手は困難でしょう。

写真には写っていませんが、最後部はブランチライン社のプラスティック製、ペンシルヴァニア鉄道籍のプルマン重鋼製寝台車12-1型2輌で〆ています。将校団用という想定です。ペンシーはかつて米国鉄道界で実力No.1、車輛数にも余力があったと見え、他社線乗り入れの増発や臨時列車に自社の寝台車を盛んに派遣しています。

ある日気まぐれに組成する1編成にも、こんな背景を押さえてやるのがD&GRNの遊び方です。

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.80

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編集中の『レイアウト・ビルダーズ5』が作業の相棒である小畠女史の都合で締め切りが10日ほど早まり、JAMコンベンション事務局の仕事も一度で周囲のOKが出ないことがこのところ多いので、抱える仕事が増える一方、なかなか自分自身の模型作りどころでない日々が続いています。いくつもの案件を同時に抱えると、どれも時間配分が中途半端になるせいか、却って時間のロスが増えますね。

しかし、ここいらで本当に気を入れないとコンベンションへの出品作品が仕上がらない事態になってしまうのですが、しかし、そういうときに物事を端折ってやる、やっつけ仕事でやると、あとの手直し、というのは余計に手間が掛かるものです。あとの仕事のことを考えないで、目先の進捗を選ぶと、結局きれいな仕上がりにならない。やはり「最終ここまでやる」ということをきちんと考えないで手をつけるのは下策です。

やっぱり、ここは自戒して、愚直に積み上げていくしかないでしょう。プロのジオラマ作家といわれる人たちの作品を見る機会もありますが、やはり手早くやった仕事には味が無いですね。味を出したいと思ったら、トコトン煮詰めないとだめ、というところで、レイアウト造りとスープ作りは実に似ているようです。

で、コンベンションに向けて製作中の「船着場」パート2、明け方まで原稿書き、文章書きをしたあと、眠る前にひととき見つめては、考えがまとまったところはほんの少しででも前に進めています。

この2週間で、背景画に密着する工場は、道路際になる部分に剥げ掛かった広告を、キット付属のポスター、サイン類や、インターネットで見つけたディカールで加え、これも米国に注文していた、追加の換気装置が2,3日前に届いたのも取り付けました。

今日はこの段階で、2回目のウエザリングをやったところです。

この船着場は、太平洋岸か大西洋岸かは特定していないのですが、とにかく北の方にあって、日照は強くない、そんな地方を想定しています。

太平洋岸ではシアトル周辺、大西洋岸ではボストンから北へ行ってみますと、快晴の日で眺めは明るくても、日差しそのものは何となく、東京や伊豆、南カルフォル二アに比べると力がないのを感じます。

緯度が高くなれば、太陽は相対的に低くなりますから、光線も横がちになって、当たり方は弱くなります。

そして、世界の都市の多くは以外に緯度の高いところにあります。

一番驚いたのは、南仏の、ヨーロッパ人が日光浴に出かけるニースですが、あそこは函館とほぼ同じ緯度です。つまり、南仏の辺りの地中海というのはそんなに南の海ではなく、事実水温もさほど暖かくないし、市場で見ましたら、獲れる魚は北方系です。でも、ヨーロッパの大半は、それより北にあるわけです。

ちなみに、ロス・アンゼルスが北緯34度、東京か35度に対して、ニュー・ヨークが北緯40度、ローマ41度、ボストン42度、札幌43度、パリ48度、ヴァンクーヴァー49度、ロンドン51度、ベルリン52度、オスロは60度です。つまり、ヨーロッパの一番盛んな地域というのは極東へ持ってくれば、札幌から樺太に掛けたあたりに横たわっていることになります。

もう40年前にデンマークのコペンハーゲンに行きました時に、快晴で空気の透明度も最高なのに、露出計で測ったら、以外に露出が出なかったのを覚えています。 

近くは数年前にナロー・ゲージ・コンベンションで、ボストンの北、メイン州のポートランドへ行きました時、昔の2フィート・ゲージ・ナロー鉄道の全盛期のモノクロ写真で、「さぞ緑豊かな地域」と想像していましたところ、シカゴで乗り継いだ飛行機がいよいよ着陸態勢に入って高度を下げていって、下界の木々がはっきり見えてきたら、かなりグレー掛かっていて、ガサガサした印象なのが意外でした。

地上に降りて、数日間滞在し、その間に、2フィート・ゲージの保存鉄道が走っている森にいきましたが、広葉樹の葉がみな深い皺が入っていて、光線の反射が少ない、カエデの大きいような葉では一面に産毛が生えているようなのもありました。

つまりこれは、太陽光線が弱いので、葉の方が皺や産毛で表面積を増やして少しでも多くの光線を取り込もうとしているのではないか、と感じました。だから、当たった光線があまり反射せず、それを上空から見たので、一面灰色掛かって見えたのでしょう。

ヌーディスト運動というのは1930年代に健康運動としてドイツから始まって、アメリカではニュー・ヨーク周辺から広まったそうですが、こうした光線事情を考えればむべなるかな、と思います。

ですから、この船着場の景色も、そういう高緯度地域、日差しは晴れても力が弱そうだ、というのを、建物の色をなんとなく煮〆たような幹事にすることで表現したい、と思っています。

今日は、先日米国へ行った際に高級文房具店で見つけた飴色のインクをアルコールで薄めて、タスカン・レッドの板壁に掛けてみる、というのを試してみました。

海外情報のカリスマを気取る人はよく、こういうのを「これさえあれば絶対!これが決定的」などと吹聴しますが、技法というのはTPOに合わなければ効果は出ないし、また、一つだけの材料とか、技法とかで作品が最高に素晴らしくなるわけでもないと、私は思います。これまた、スープを作るときのスパイスに似ていますね。

今日は陸地の全面にもブラックの水性ニスを刷毛塗りしました。グランド・カヴァーやバラストを撒く前の下ごしらえです。こうしておけば、グランド・マテリアルやバラストの隙間からベニヤ板の素肌が覗いて興醒めすること防ぐことが出来ますし、パウダーの間から知らず知らずに透けて見える下地の色で、グランド・カヴァーの色にも深みが出るのです。こんな、何でもないようなことをきちんとやっておくことが、実は一番大切なのです。

今回は湿りがちの海岸の土、という設定を考えていますので、下塗りにブラックを使ってみました。「手馴れ」ばかり選ばないで、こうした未知のファクターを敢えて放り込んでみますと、そこに「どうなるのだろう?」という期待感、高揚感が生まれて、「怖いものみたさ」が「やる気」につながっていきます。

「やったことがないから」「よくわからないから」「他の人がやっていないから」で、自分の領域を縛っていては、いつまでも応用力は付きません。結果を読めるようになれば、それをステップに、次の構想が涌いてくるようになるものですから、試行錯誤はどんどんやるべきです。

さて、次はいよいよ地面造りでしょうか?