アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.82

_CAS8228_s

本日未明、「第13回国際鉄道模型コンベンション」に今年の新作として発表する「クラム・ベイの船着場Part 2」の地上部分がほぼ完成しましたので、写真でご覧に入れます。自動車はまだ固定していませんが、これが昨年以来、私が頭に想い描いてきた「Part 2」の景色です。

リゾート・エリアとしての賑わいを表現した「Part 1」から一転して、今回のセクション(長さ110cm) は造船所と工場兼倉庫の立ち並ぶ中を港湾貨物線が抜けている、人の気配も少ない地域です。旅客駅や商業地区を予定している「Part 3」(そして、もしかしたら「Part 4」の予感も)への橋渡しとなる部分という位置づけです。

最初からかなり具体的な構想として計画していた「Part 1」と違って、こちらは「成り行き任せ」で造った、というのが実情、といえましょうか?ただし、このセクションは人形で見せた「Part 1」に対して、「人形の数は絞る代わりに、ストラクチャーに付帯する小物の賑やかさで見せよう」という考えはありました。

具体的には工具類、船具類、荷物、ジャンクといったものです。

「Part1 」で燈台とレストラン、船具店を使った「ビルダーズ・イン・スケール」社のウオーター・フロントのセットの中で、最大で、且つ、一つだけ残った、小造船所を基軸に、それに合いそうなストラクチャー・キットを物色していってまとめたのが、結果として、こうなった、というところです。

途中でデッサンの変更もしました。

当初は小造船所の右隣は、「場末の小さなガソリン・スタンド」を予定して、ストラクチャー・キットも組み上げたのですが、そのころになって、米国で近年、港湾もののストラクチャーを盛んに発表している「モデル・テック・スタディオ2003」というレーザー・カットのキット・メーカーが、屋外での木造船の建造風景を発売したのを知りました。ちょうどウエストン・リンクのノーフォーク・アンド・ウエスタン鉄道の写真の中に、そうしたノーフォーク港付近の情景の後を蒸機が通り過ぎていく作品があったのを思い出しましたので、それをこのセクションに取り入れることにしました。

キットは水面に向かって傾斜している船台の上で造船して、滑走で進水させる方式を模型化していますが、私のセクションにはそれだけのスペースはないので、「平地で組み上げたのち、クレーン船で船台ごと持ち上げて、水面に下ろすのだ」という想定にして、ぎりぎりのスペースを確保しました。

数年前の、戦後初めて日本政府が外国船を実弾射撃した某国工作船の引上げや、昨年の大津波で陸地に乗り上げた中型船の回収作業で、キットの程度の大きさの船なら鋼鉄船でさえ、クレーン船での吊り上げが可能なことを知ったからです。また日露戦争の直前には、シベリア鉄道にはトンネルが無い事を幸い、とばかり、ロシアは欧露で建造した水雷艇を貨車積みでウラジオストックに鉄道輸送していました。これも当然、クレーンで積み下ろししていたのでしょう。(大雑把なロシアの気風を考えれば、下ろす方は貨車ごと、海に突き落としていた?)

但し、このキット、説明書には、ジオラマ仕立てにした全景2方向と数葉の部分写真と簡単な説明文しか載っていないために、いわゆる舟形の3Dは実際に組んでみないことには、今ひとつ把握しにくく、さらに、それを囲む作業デッキが付いた場合の必要用地がどれほどになるのかは、実地に足場を組みつけてみないことには、正確には割り出せない、という、いままで経験したことの無いものでした。

これに別売の板材置き場をどう組み合わせ、どう敷地の中に納めるか?1cmどちらかへ舳先を振っただけで、線路とのクリアランスが無くなるか、道路の幅が取れなくなるか、母屋とくっついてしまうか、となってしまうので、実は最後の最後まで心配させられました。

幸いに、材木置き場の建屋の位置に関して、いままで船台と平行、と決め付けていたのを「直角で母屋に付属した板材置き場と通路を挟んで対面」と発想転換しましたら、「これ以上1cmもずらせない」という絶妙な位置関係を割り出すことができ、逆にそこまで各方向のクリアランスを削ぎに削いだために、造船所全体の眺めが、当初頭に中にデッサンしていたよりもはるかに引き締まったものになり、また存在感も大きいものになりました。

まあ、「怪我の功名」という類ですが‥

しかし、これは本当に「怪我の功名」であって、本来、レイアウトというものは、「ストラクチャーをまず用意してから作る」が理想です。最低でも「ストラクチャー製作と並行して造っていく」のが正解でしょう。

そうすれば、「地形に無駄を生ぜず、かつ絶妙の間を取ったシーンが造れるはずです。私はこれをジョン・アレンの建設方法から学びました。

たしかに、一日も早く列車を走らせたい気持ちからすれば線路敷設は急ぎたい。しかし、ストラクチャーの寸法を当たらずに線路を敷きまわしてしまうと、ストラクチャーが入るべきところにクリアランスが取れていない、あるいはストラクチャーどうしの連携が構築できない、というようなことになって、そこでレイアウト建設はストップ、単に線路を固定しただけの走行盤に終わってしまうことになります。

そうなる原因のひとつは、TMS誌が永年掲載してきたレイアウト発表記事にあったのではないか、と最近思うようになりました。

どの辺りが起源かは調べていませんが、TMS誌に発表される「レイアウト建設記」には昭和30年代はじめから、ひとつの定番スタイルというのができていました。

それは「線路プランの説明」から入って、次に「電気関係」、そして「運転の実際」、それから「シーナリーの製作技法」に移って、最後にようやく「ストラクチャーの説明」に至る、というものですが、「ストラクチャー」の辺りになるともはや所定の文字量は尽きてきてしまうので、ごく簡単に終わってしまう‥つまりハードばかりが語られて、ソフト、すなわち「作者がそのレイアウトで表現したいストーリー」がほとんど、あるいは、全く語られないのです。

これが「レイアウト建設記」のお手本となると、読む方は「ハードさえ知ればレイアウトは出来る」と勘違いしてしまう。そして、現実にトライしてみると、たちまち立ち往生してしまう‥実際にはまず、製作者がストーリーを持っていなければ、カステラ箱大のレイアウトすら、作っても興奮はなく、作者自身さえ、そこに没入できる世界にはならないのです。

そして、そのストーリーを何より紡いでくれるのは車輛とストラクチャーの取り合わせでしょう。そのうちでも、私はどうもストラクチャーがそのレイアウトの眺めをリードしていくような気がします。シーナリーはむしろ、それに従っていくのではないか?最近、そんな気がしています。

なぜなら、ストラクチャーに従ってシーナリーを決めていくのは楽ですが、シーナリーに従ってストラクチャーを選ぶ、あるいはデザインする、というのは、実際にやってみると結構難しいからです。

で、今回またしても確信しましたが、このセクションの幅である1,100mm程度(先日1,200mmと書いたのは誤りです)がHOで一つのシーンとしてまとめを考えるのには「頃合い」ですね。

これ以上の広さを一度に作ろうとなると思考が分散して単調に流れやすくなるし、1,000mm以下の幅になると、寸法的な制限が大きくなって、デッサンやアイディアの幅が狭められてしまいます。

では、今回のセクションに単純に曲線を加えてエンドレスの小型レイアウトに仕立てるとどうなるでしょう。

小型の0-4-0や0-6-0、あるいは2-6-0、2トラックのギヤード・ロコ程度なら楽に通過する450Rを両袖に加えると、1,100mm+450mm+450mmで、線路中心での幅はちょうど2,000mmです。Rを400にすれば、1,900mmです。

そして、ジョン・アレンが写真に遺した不朽の名作レイアウト、初代「G&D鉄道」の正面幅は実に6フィート8インチ=2,032mmです。すなわち、「初代G&D鉄道」の直線区間の実際も、この「クラム・ベイの船着場 Part2」とほとんど同じだということです。

それなら、たとえストラクチャーを全自作しても、かなり濃密に作り込めるでしょう。

このセクションも、ポイントなど欲張らずに、4フィートx8フィートの米国サイズ定尺ベニヤの中に納まる小判型レイアウトに仕立てて、機関車と貨車を取っかえ引かえして遊んだら、飽きの来ないものになりそうです。

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.81

_CAS8189_s

今週もう一つできたことは、5月にD&GRNに新規入線したサザン・パシフィック鉄道(SP)のGS-6クラス4-8-4を「入線整備」して、2000年に入った、同じSPのGS-2と重連できるようにしたことです。

蒸気機関車だけは、触ったときの金属の冷たさ、断面が見える部分での肉薄感、それから補重などの微調整やモーターの換装による性能向上の楽しみとか、動輪の軸箱可動による、線路の継ぎ目への当たりの柔かさ、などから、真鍮製にこだわっています。(古いダイキャスト製も好きですが)

このこだわりさえ捨てれば、人生がどれほど楽だったか、とは思うものの、「行けるところまで行って見たい」という妄念は止みがたく、米国型の場合、製品のバラエティーは汎用製品よりはるかに豊富ですから、今週のように、実物写真集で佳い写真をみた編成など再現できたときは「生きていてよかった!金策に苦労した甲斐があった!」と独り納得するわけです。

もっとも、趣味というのは、「困った、どうやって金策しよう?」というような中から搾り出すようにやるから面白いようで、この50年ぐらいの間に私の脇を、何人かの、大金持ちで「手当たりしだいにいくらでも買える」というブラス・モデルのコレクターが通り過ぎていきましたが、大体みんな10年ぐらいで飽きて、高級外車とか若い女性との交際の世界に去って行きましたね。

いいのか悪いのかは別にして、車輛集めが長続きするためには、「あの車輛はコレコレの理由で絶対に必要だ!」という執念というか、まわりに鬼火が漂うような妄念が欠かせないのでしょう。ただ「生産台数が少ないから、売り切れそうだから、特製品だから、他人が持っていないから」というだけで買い集めても、価値観が他人の評価と相対的ですから、愛着が涌かないのでしょう。

そこへ行くと、自慢ではありませんが、(自慢になるか!という声あり)、わがD&GRNの車輛たちは、どれを差して訊ねられても、即座に「それは何々に牽かせるためで、それは何と重連を組むため、それはこういう編成に入るもの、これは何々用の後部補機、このカブースはあの機関車と時代考証で対になっていて、機関車のレタリングが変わるとカブースもこちらの方に‥」という存在理由が説明できます。それぐらい、車輛どうしが相関関係を持っているのです。そのかわり、いつも清水の舞台から飛ぶような決断を繰り返しているので、もう生命保険にも入れません。

話は脱線しましたが、新しく買った機関車に何故「入線整備」が必要か、といいますと、まず、「スムーズなカーヴ通過のため」です。

メーカーには試運転線はあっても(日本のほとんどのメーカーはこれさえありません)、あくまでも平坦線でカーヴも単一方向で、渡り線の鋭いSカーヴはありませんし、走行も単機です。ですから、製品に想定される設計条件と結果は、概ね単一カーヴをクリアーすれば合格とされています。

ところが一旦D&GRN鉄道に入線しますと、機関車はその持てる牽引力を目一杯引き出されて列車を牽引させられますから、テンダーのカプラーや機炭間のドローバーに掛かる荷重は絶大なものになり、従って、機関車本体の左右動もそれに引かれて大きく制限される事になります。また、後へ引かれることで主台枠の後部も下がる事があります。複雑な連続ポイントの通過も単一Rでの走行とは車体の左右動の状況は全く異なります。

こういうことから、電極が反対の機関車部分とテンダーが接触したり、従台車の首振りが制限されて、脱線したり、ショートしたり、が起きます。つまり、単機運転なら当たらなかった箇所が当たるようになるのです。

D&GRNのようにきちんとRや勾配を管理し、しっかりカントを付けていてさえ、これですから、組立て式や道床つき線路を仮設した運転会に真鍮製の蒸機を買ったまま持ち込んでも、スムーズに走らないのは当たり前です。

軽い接触によるショートなら、3Mの薄手絶縁テープの小片を貼ることで対処しますが、明らかに従台車首振り不足(横方向だけでなく、縦方向の場合も結構多い)の場合には、従台車の支点部を平ヤスリで薄くしたり、肩を丸めたり、それでもダメなら、主台枠後部の支障する部分を回転ヤスリで掘り込むなどします。特に近年の製品は主台枠を実物に似せよう(どうせ、ほとんど見えないのに)と作るために、そこに実物よりは高いフランジが当たるケースが増えました。特に、傾斜した灰受けを持つ石炭焚きに多いです。

ほとんどの新規購入蒸機にやる「入線整備」は、テンダー台車のセンターピンの、硬過ぎるスプリングの交換です。これは、この20年来の製品はすべて対象、といってよいぐらいです。硬過ぎるスプリングのままで、重い編成にぶらさがられると、カーヴで車輪がウイリーして、集電不良や脱線を起こすからです。これは蒸機のみならず、ほとんどの真鍮製ボギー車がチェックの対象になります。「勾配途中のSカーヴ」も存在するD&GRNですから、ボギー台車の線路への追随は常に良くなくてはなりません。

これはスパイク・モデルの、柔かい燐銅製に交換します。2軸先台車でも、時折、圧着バネの強すぎるのがあって、これも機関車後部を押し下げて、従台車の首振り不良やキャブ屋根とテンダーとの接触を起こしたり、動輪の前半分の粘着を殺いで牽引力を低下させたりしますから、同様に交換します。

次に、ほとんどの真鍮製蒸機は「前重後軽」つまり、ボイラー・ウエイトが前方に偏在しているために後部の動輪の粘着が弱く、本来出せる牽引力の5~6割ぐらいしか出ていませんから、上下を分解して、ギヤーボックス両脇のボイラー内側に私オリジナルの半月型ウエイトをゴム系接着剤で貼り付けます。これは最初、プレス・アイゼンバーンの商品にしていましたが、ほとんど売れなかったので、いまは鋳物屋に個人発注して、池田健二氏とシェアーしています。5mm厚単位で、1台に大概10枚から12枚ぐらい使いますが、時には20枚前後まで飲み込んでしまうのもいます。そういうときには沈み込みすぎないよう、軸バネを太いものに交換したりもします。

重連で前位機となる可能性のある機関車では、テンダーのケーディー・カプラーのトリップ・ピン(作動腕)を180度反対に廻します。これは、ピンが次位機のカウキャッチャーやスノープラウに当たって、カーヴで脱線が起こるのを防ぐためです。

カプラーを裏返してプライヤーでトリップ・ピンの根元をしっかり掴み、ナックルが開く方へジワジワと廻して、元の状態と180度反対まで持っていきますと、ケーディー方式の磁気解放型カプラーは正規と全く同じ作動をします。

これは以前、私が教えたのをさも自分の新発見のように書いていた『とれいん』のスタッフがありましたが、ケーディー社がいまのMKDシリーズ、すなわち磁気解放方式を発売して3年目ぐらい、私の中学始め当時の『Model Railroader』誌のヒント欄に載っていたものです。

ただし、これができるのは旧来のヘッドのケーディーで、しかもメタル製のものだけで、銜えの部分が脆い樹脂製や近年の「スケール・ヘッド」タイプでは壊してしまいますし、マイクロトレインズのN用やケーディーの711のような、胴自体が2分割されているタイプも解放機能は作動しません。

トリップ・ピンを最初から後方に向けたものは、近年ではプロト2000が「プロトマックス」カプラー(ケーディーのコピー品)の一つとして「リヴァース・トリップ・ピン」仕様として販売していて、私も一度買ってはみましたが、通常のヘッドのケーディーからなら2秒で加工できるので、以後はわざわざ買うこともないと思いました。

以上が、通常の「入線整備」ですが、今回のSP GS-6はプレシジョン・スケール社(PSC)の製品にしては珍しく、最初から問題点が少なく、結果的に、テンダー台車のセンター・ピンのスプリング交換とカプラーの交換(スケール・ヘッドからトリップ・ピン加工のスタンダード・ヘッドへ)と、間違った塗りになっていた前頭スカートの塗り足しだけで、とりあえず入線OKとなりました。ウエイトのバランスも良く、足すかどうかは微妙。今後、いろいろな編成を試して決めることにしました。

「PSC製品には珍しく」と書いたのは、この社の製品はしばしば、ディテールの盛り込み過ぎによるカーヴ通過でのトラブルとか、考えすぎのワンタッチ・ドローバーの作動不全による通電不良とか、で、韓国の同じメーカーを使いながら、PSCの製品に限って中々すんなり走らない、ということが多いからです。

しかし、PSC製品に限らず、ワンタッチ・ドローバーというのは列車を牽引させるとなると、やっぱり圧着が安定しないことによる通電不良が多いですね。私は、少し調整しても改善しない時は、旧来の方式(オーヴァーランド社の分配品が廃止になる前に相当数を買い置き)に交換したり、中型機以下なら収納の際に分離することが少ないので、テンダーと機関車をラグ板ビス止めで直接結線したりしてしまいます。

「製品は完全であるべき」と勝手に思い込んでいる今時のコレクターなら、こういう場面がでれば怒るのでしょうが、私は「メーカーより自分の方がハイレヴェル」と信じ「どんな製品も自分にとっては半製品、素材」と割り切っていますので、「入線整備」に知恵を使うのも楽しみの内です。

PSC製のGS-6はブー・リムという、いま韓国で蒸機ものでは定評のあるメーカーの作で、今回重連に組んだのは、いまは無きチャレンジャーインポーツが、これまたいまは消滅してしまった、世界最高のブラスモデルメーカー、サムホンサに造らせたGS-2です。

GS-2とGS-6を重連に組んでみたかった理由は;

1. SPが第2次大戦中に輸送力増強のために造ったGS-6はSP最後の新造4-8-4となったが、最初の流線型4-8-4として造られたGS-2の72インチ動輪から、続くGS-3、4、5で一旦80インチ動輪になったのを、牽引性能重視で再び72インチ動輪に戻って、性能的には実質同等になっている。その、同じ72インチ動輪の最初と最後の外観の対比を、重連にすることで観賞してみたい。
2. 元は完全に流線型で「デイライト・カラー」に塗られていたGS-2も大戦中からスカートを撤去して黒塗りとなり、キャブの開放、密閉以外の違いはGS-6と見分けにくい姿となり、両形式とも戦後はサン・フランシスコ(オークランド)とポートランド(オレゴン州)を結んで、途中勾配の多い、シャスタ・ルートに集中していたから、実物でも重連に組まれるチャンスはあったはず。

で、やってみると、手掛けた韓国メーカーも発売した米国のインポーターも違うのですが、ギヤー比とモーターが同じだったようで、両製品のスピードは大差ありませんでしたし、GS-2の方はすでに前部カプラーをダミーからケーディーに交換してありましたから、即重連が組める事になりました。いままでキャブ以外は大差無いものと思い込んできた両形式でしたし、昔のカツミ製もパーツをほとんど共用していましたが、きちんと造られたモデルで比較してみると、煙室前の整備デッキが、戦時中に造られたGS-6では作業しやすいようにかなり広くなっているのが判りました。つまり、GS-2とは前頭部の印象ははっきり違うのです。(やっぱり写真だけでは‥無理しても買ってみるもんだ!と自分を納得させる)

牽かせる列車はシャスター線の重鋼製客車編成もいいが、戦時中に生産されて「ウォー・ベイビー」と通称されるGS-6にちなんで「兵員輸送列車」を考えました。ただし、両機のテンダーのレタリングが1946年以降のものなので、米軍の兵員輸送専用車、通称「トゥループ・スリーパー」は第2次大戦時のプルマン・グリーンではなく朝鮮戦争時のカーキ色時代のものにしました。

写真はその編成です。先頭が今回入線のGS-6,次位がGS-2です。編成1輌目は旅客列車用冷蔵荷物車。これはしばしば荷物車代用としても使われています。2輌目は荷物車。兵員輸送列車の荷物車は、必ずしも走行する鉄道のものではなく、そのとき手近で空いていたのが使われることが多かったようですが、ここではロック・アイランドとシカゴ・ノースウエスタンという、SPとの連絡運輸が頻繁であった鉄道のものを選んでいます。

3輌目と4輌目は米軍の傷病兵専用車です。第2次大戦当初にはプルマン重鋼製寝台車からの改造車が用意されましたが、それでは不足してきたことから、大戦末期にようやく新造が決まりました。しかし試作分がようやく完成したところで終戦となってしまい、第2次大戦にはほとんど寄与しなかったと聞きます。それが4輌目に連結されている分で、モデルはコーチ・ヤード社の製品です。ただし「試作は1輌だけだった」と書いている本と、終戦前に数輌は完成したように読める資料があり、そこはきちんとは知りませんが番号が300番代です。

3輌の方は本格量産車で、試作車とは窓の配置、寸法が若干(ナシ20の前期車、後期車程度)異なります。こちらも1945年製とモデルに箱書きされていますから、対日戦勝後の落成、ということでしょうか?番号は400番代で100輌は造られたようです。これはオーヴァーランド・モデルズの製品です。病客車すらブラスモデルで2種類も出てしまうのですから、米国の業界の製品リサーチ力、制作意欲は日本とは桁が違います。(両方とも即完売となった市場の反応も凄い)

5輌目以下はいわゆる「トゥループ・カー」(兵員車)と呼ばれるもので、窓の大きいのが寝台車、小さいのが調理車です。一番前の、赤十字を描いた車は傷病客車用の調理車です。傷病兵客車は空襲に備えて、屋根にもレッド・クロスを描いています。空襲など心配ない米国本土用でも、米国は自分の側に有利ならば戦時国際法はきちんと使いますね。(自分が守るかどうか、は別です)

兵員寝台車も前期、後期があって、前期車はステップが大きく、その分、台枠が切り込まれています。後期車は、ステップは外付けで小さく、台枠は切り込まれていません。戦争が終われば余剰になることは明らかだったので、そのときには荷物車にすぐ転用できるよう考えていたそうです。(勝ち戦を想定して戦争している、というのが完全に発想の違いです)

調理車は寝台車数輌に1輌の割で連結されたようですが、これも寝台車よりは遅れて大戦末期に出てきたように書かれています。それまでは一般の荷物車に調理器具を積んで代用していたようです。そういうこともあって「朝鮮戦争時」とした方が、全部が確実に出揃った時期、ということになります。

「トゥループ・カー」はPSC社の真鍮製で、近年一時発売されていたウオルサーズのプラスティック製ではありません。ウオルサーズからは寝台の後期車の第2次大戦塗りしか発売されませんでした。但し、アライド・フルクッション台車の転がりの悪かったPSCオリジナルは、これまた短期間分売されたウオルサーズのプラスティック製に交換してあります。「ウオルサーズの中国製品はすぐに絶版になるから、買い込んでおかねば危ない」と50輌分買込んでおきましたが、「案の定」で、もはや大量入手は困難でしょう。

写真には写っていませんが、最後部はブランチライン社のプラスティック製、ペンシルヴァニア鉄道籍のプルマン重鋼製寝台車12-1型2輌で〆ています。将校団用という想定です。ペンシーはかつて米国鉄道界で実力No.1、車輛数にも余力があったと見え、他社線乗り入れの増発や臨時列車に自社の寝台車を盛んに派遣しています。

ある日気まぐれに組成する1編成にも、こんな背景を押さえてやるのがD&GRNの遊び方です。