アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.71

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昭和20年代、わが国で最も活躍した鉄道模型メーカーは「ニューワンモデル」ではなかったか、と私は考えています。それは、「ハンダ組立て」というネックに無縁の商品開発でいち早く輸出も可能な量産体制を達成した存在だったからです。

つまり、カワイモデル、鉄道模型社、カツミ、天賞堂、つぼみ堂‥といった、その後有名メーカーとして隆盛する各社が「ハンダ組立てという手作業」でも、ある程度の量産体制を整えてくる昭和20年代末期以前、各社とも進駐軍関係者などのオーダー・メイドを主に、1機種1~10台未満がせいぜいという数量を完全ハンド・メイクで製作していた時代に、いち早く、ダイキャスト、ソフトメタル、白ボール紙への多色印刷、ベニヤ板へのゴム印刷など多様な手法を駆使してHOのタンク機関車や米国型客貨車をキットと完成品で供給したのがニューワンモデルでした。

しかし、今日はもちろん、当時でさえ、このメーカーの名前は日本人にも米国人にも全く知られていませんでした。

それは、このメーカーが自社の生産物の販売を国内では主として天賞堂に任せていたためでした。

一部はどういう関係であったのか全く知りませんが、丸ビルの中にあった高級文具店「はいばら」の支店にも小さな鉄道模型コーナーがあって、そこでも売られていたのを覚えています。(幼少時、慢性鼻炎で丸ビルの中の耳鼻咽喉かに通っていたので)

しかし、天賞堂では、これをオーダー・メイド以外の主商品として扱っていて、天賞堂としてのスターター・セットもこのニューワン製品を詰め合わせていたので、人々はそれが「天賞堂製品」、「天賞堂の一般製品」と認識していました。

客貨車製品の構造は、ずっと後になって知ったことですが、当時の米国の大手だったヴァーニー、レッド・ボール、シルヴァー・ストリークといったキット・メーカーの製品のコピーで、違いといえば木部に米国製はバスウッドを使っているのに対して朴(ホオ)材を使っていたことぐらいでしょうか?おそらく進駐軍関係者によって持ち込まれたこれら米国メーカーの製品を写すことから始めたのでしょうが、ディテールの表現や印刷した表記は正確で、とにかく、当時ようやく出始めた16番日本型の貨車は軸箱、軸受けがブリキ板に一体の押し出しプレス表現で、レタリングなど皆無(16番の日本型製品に一部レタリングが登場するのは東京オリンピックのあとくらい、で米国型とは15年ぐらいの時間差がありました)、しかも、これは模型の所為ではないが黒一色、片やニューワン製の米国型貨車はフル・レタリングで台車はスプリング可動のダイキャスト製、色も海老茶、黄、オレンジ、シルバー、青、緑など、とりどり‥車掌車は赤くて可愛いかたち。それで、家から最寄りの模型店が天賞堂で父親が呉服屋のくせに舶来もの好き、とくれば、私が鉄道模型の最初からどっぷり米国型に漬かったのは至極当然でした。

また、ニューワンの米国型貨車キットというのは非常に組み易く、マイナス・ドライバーと錐と千枚通しとセメダインCとS熊印のラッカーの黒、それを艶消しにする歯磨き粉くらいあれば、小学校低学年でも何とか組めました。父から工作の手ほどきを受けたのもニューワン製の貨車キットが最初で、それからその構造を参考にペーパー自作を自己流で覚えました。

こうして列記しますと、結局私の鉄道模型はニューワン製品に育てられた部分が非常に大きかったことに改めて気付かされます。

このニューワン製米国型を米国に輸入したのはInternationalというインポーターでした。ここでもニューワンは無名に徹したので、最近分かったことですが、この時代のニューワン製品(すなわち天賞堂の米国型一般製品として知られたもの)は米国ではInternational製品として認識されているのです。

このInternational社は日本製鉄道模型を米国に流通した最も古いインポーターです。日本でも多くの方がサウンド・システムなどを通じてご存知のPFM社(Pacific Fast Mail)以前に活躍し、ニューワン‐天賞堂製品ばかりでなく、当時のカワイモデルの米国型で日本の模型界にもおなじみだったサウスショアー凸電、リオ・グランデ・タイプ2-6-0、ペンシーO-1b電機、サザン・パシフィック・タイプ0-6-0など、それに天賞堂の初期のFT流線型ディーゼル機、模型社製の最初のシェイなどは皆、International社が米国模型界に供給しました。

ニューワン‐天賞堂の米国型客貨車は、オープンデッキ古典客車2タイプ6種、カブース3種、ワーク・カー2種、ボックス・カー3タイプ、リーファー(冷蔵車)2タイプ、ストック・カー(家畜車)1タイプ、フラット・カー(長物車)、デプレスド・フラット・カー(大物車)、ゴンドラ・カー(無蓋車)、ピックル・カー(漬物運搬車)、タンク・カー各1種があったのは覚えているのですが、ボックス・カーやリーファー、ストック・カー、タンク・カーは所有する鉄道や会社によっての色違い、レタリング違いが多数あったので、全体でどれほどの品種数に達していたのかは見当もつきません。ただ、そのバラエティーは全米各地方をほぼカヴァーしていたのは確実で、おかげで私は幼少時にして、沢山の鉄道会社や物産会社のマークを覚えることができたのです。

当時の天賞堂(木造2階建て)に行きますと、ショーケースの中にこれらの客貨車のキット、組立て完成済み車体が並んでおり、完成車体は買い上げるとその場で、寺田さん、谷さんという二人の美人女性店員がカプラーや台車を取り付けてくれるのでした。

幼少期のものは、子供の宝と自分の物の区別がつかない両親によって、私がちょっと他のものに気を取られている隙に捨てられてしまったのですが、小学生当時にまた集めなおし数輌の勢力までは回復しました。しかし、それ以上の拡大は突然不可能になる日が来ました。たしか小学校4年生のあたりと思うので、昭和34年ごろでしょう。これら(ニューワン製ですが当時は天賞堂製と信じていました)の客貨車が店頭から一切姿を消してしまったのです。

いまから想像すると、天賞堂とニューワンの間に何かトラブルでもあったのでしょう。天賞堂という会社は、昔はよく下請け業者と喧嘩して絶縁することがあったようで、「千葉工場」と呼んでいた「ゴーモデル」も突然切ったので、151系、DF50、軽量客車、ED42が永らく再生産できなかったし、米国型ではサザン・パシのP-5が2回だけで再生産されませんでした。

こちらは小学生で事情も想像つきませんから、店員さんたちに再生産の予定など聞くのですが言葉を濁されるばかりで、そのころはやがて米国からアサ―ンなどのプラスティック製品が入ってくるとは夢にも思いませんでしたから、大いに絶望したものでした。(私のアメリカ型歴の最初の危機でした)

しばらくして、後継製品として今度は本当に天賞堂製としてストック・カー、ゴンドラ・カー、フラット・カーとカブースが2種、それにボックス・カーが発売となりましたが、ボックス・カーがB&O1種のみのレタリング済みであったほかはいずれもレタリングはおろか、全くの未塗装でアメリカ型本来の魅力は、半減どころか全滅、設計も以前のものに比してぼってりした印象、何よりもキャステイングが肉厚で車体が重くなってしまい、ほとんど使えない代物で、なおさらがっかりしました。化粧箱も冴えないブルーグレーに替わり、以前の高級感は消えてしまいました。

いまでは、天賞堂がかつて国産の米国型貨車を売っていた、ということを知っている人もごく少なくなって、知っている方でも、この、ブルーグレー箱時代の無レタリング製品がそれだと思っている方が大半でしょう。

小学校時代の前半になんとか入手していたニューワン製客貨車は数次の引越しの間に破損もしましたが、死守して今日も健在ですし、その後、『とれいん』誌の営業で関西の模型店を回るようになってからは出物を拾ったり、西尾克三郎さんのご友人が模型を止めた際に処分を託された車輛群の中から見つけて引き継いだりで、一定のコレクションは回復しました。

それ以上に、もっと新しい水準のブラスモデルやプラスティック製品で当鉄道の在籍車輛数も膨大な数に成長したわけですが、そうなると人間不思議なもので、何か自分の原点に返りたくなるのか、「もう一度、あのニューワンの客貨車キットを組んでみたいな」という思いも年々強くなってきました。

実は先日、米国のローカル模型店にこの天賞堂‐ニューワン時代のカブースが2種、International製品として塗装済み完成車体の完全新品状態で在庫(何と半世紀以上を超えて)しているのを見つけ、早速注文しましたところ、「これは実は60年前に自分が最初に与えられたカブースなので出会いに感激している」と書き添えたのに店主の方でも喜んでくれて、「ボーナスをつけてあげる」と、同じニューワンもタンク・カーのキット2種をプレゼントしてくれました。一つは「シンクレア」の黒ボディー、もう一つは「テキサコ」の銀タンクに赤いドーム、です。

これらも幼少期、父が天賞堂から買ってきて我が家にあったのをよく覚えている、懐かしいものです。テキサコの銀タンクはアサ―ンなどの製品にもあるのですが、なぜかこの赤ドームは見たことがなく(実車がごく少数派の試験塗装かなにか?)、それだけに印象に残っていました。

キットの構成はソフトメタル一体鋳造のフレームに朴の木のタンクの芯、これに、塗色とレタリングを印刷し、リベットや継ぎ目をエンボシングしたアート紙を巻きつけて、同じくソフトメタル製だが塗装済みの鏡板を接着したうえで、ハンドレールやステップ、行先表記板、ブレーキ・ハンドルやブレーキ・シリンダーを取り付ける、というものです。ハンドレールの支柱は真鍮挽き物の本格的なものです。なぜか2台とも、フレームからドームに上がるハシゴは紛失していましたが、これはまあ、ジャンク箱から昔の残材で調達できそうなので、早速心が動き、組んでみる事にしました。

まず、ひときわ懐かしいテキサコの赤ドームから着手しました。側板となる紙はさすがに半世紀以上(化粧箱からすると60年物か?) を経て、皺や折れが出ていましたが、一旦霧を吹いて伸ばしてから木工ボンドで貼りましたらそこそこ復元できました。どうしても残った皺はセピア色のインクを垂らして錆を表現して、「塗装の傷み」に見せかけてあります。

半世紀以上前の幼少期に比べて現在がなによりありがたいと思うのは、いまや瞬間接着剤という味方があって、金属同士、金属と木材が丈夫に接着できることです。

写真は、テキサコの方が、あと、ブレーキ・ハンドル、ベカー・カプラーに台車をつければ(それにハシゴの調達)完成、というところまで来た状態ですが、これが3月最終週の成果です。

もちろん、現代の中国製最先端製品のタンク車に比べたら、はるかに甘いモデルですが、それだけに何かほのぼのとした温かみ、ディテールとは違う次元での実車らしさを感じます。こうしたモデルを手にしていると、現代のNゲージが失ってしまった、鉄道模型の何か、があるような気がします。

*ニューワンモデルは天賞堂と絶縁したのち、米国のAristo Craftsという玩具メーカーと組んでダイキャスト製のHO古典蒸機製品を比較的安価で矢継ぎ早に造り、国内ではなぜか一般の模型店には流通せず、高島屋デパートの模型売り場などで2,3年売られましたが、その後、ダイキャスト鋳造技術を活かして8mm映写機の製造に転じたそうです。この時期のキャスト製品は天賞堂と組んでいたころに比べると材質の劣化が格段に起きやすく、品質が安定していません。(機種や製造時期によっても差が激しいようです)

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.48



この配信も、米国旅行から帰って以後、模型の話題から遠ざかってしまっていましたので、ちょっと戻りましょう。

我が家にも事務所にも、このうえ物を持ち込むスペースなど無く、「もう車輛は増やす余地が無いのだ、第一、まだ走らせたことの無い車輛が山ほどあるではないか!ご先祖様に申し訳ないと思わないのか!持っていないからといって何不都合があるんだ!」と、理性は叱るのですが、そこが病気なんですね。よそう、よそう、と思いつつも、じわっ、じわっ、と保有車輛が増えています。

正直に言っても、「数を増やして記録を作りたい」とか「自慢したい」とかいう気はさらさらないのですが、「あれは模型にして走らせたら、どう見えるのだろう?」「こんな編成を組んだら、どうみえるのかしら?」「こういう重連にしたら、レイアウトでどう映えるかしら?」というような好奇心がつい湧いてしまうと抑えきれなくなる、その結果で、金銭的にも物理的にも家を傾けているわけです。

加えて、私には大変困った性癖があります。オーソドックスなものだけで満足していればよいものを、「変なもの」「常ならぬもの」に反応するのです。つまり、変形機とか改造車とか、おかしな形のものが大好きなのです。

その最たるものが、米国サザン・パシフィック鉄道の、蒸機のくせに運転台を先頭にしている「キャブ・フォワード」で、これだけでも、古いのから新しいのまで、歴代各形式の比較、それに「シェラ・ネヴァダやカスケード越えの前、中、後、3台運転」とか「重客車寝台急行オウルの重連牽引」とか、理由をつけては40年も集め続ければ、そりゃ数も増えますわ。

もともと日本型蒸機よりも米国型蒸機の方がはるかに好きだった私が、国鉄蒸機の装備の違いに一般以上に詳しくなってしまって、その手の解説を記事や本にするようになったきっかけも変形機への興味でした。「C59のなかに変な窓のが何輌もいるようだ。あれはなぜか?」とか「C62に砂撒き管がボイラー・ケーシングの中にあるのと、外に出ているのがある。なぜか?」とかに気付いても、それが雑誌のどこにも書いていない。「これは自分で調べるしかない」ということから、つぎつぎと関連して調べ、整理するうちに、国鉄蒸機外観変形史のような知見がまとまってしまいました。

高校1年の冬休み、関西から中国地方を一周する撮影旅行に出ましたが、その最初に行ったのが吹田機関区。何を見にいったのか、といえば「デフ無しのD51」というのですから、私の変形機愛好のほどが判るでしょう。

これはその数年前に、TMSに出たカツミD51の改造競作にそれを作った方があって、それは半流、いわゆる「ナメクジ」のデフ無し改造機でしたが、その実物を見たくて、初めての大阪、土地不案内の中を吹田まで行ったのです。

そもそも私の蒸機との出会いそのものが、最初は汐留のB6とか、品川の8620、C10といった入換専用機で、父もHOでは天賞堂の0-8-0スイッチャーを一番評価していましたから、昔もいまも「ヤード・ゴート」=入換専用機の存在というのは私には大変刺激の強い存在です。

そういう枕がある中で、2002年の1月、井門義博氏に、中国は内蒙古の集通鉄道に連れて行っていただきました。そのころ、実物の蒸機を追いかけるのにはほとんど熱の冷めていた私は井門さんのお誘いがなければ、ついに中国の蒸機は見に行かなかったことでしょう。ですから貴重な体験と、私としてはおそらく最後の体験に終わるだろう現役蒸機重連の通常運行撮影の機会を与えてくださった井門さんにはただただ感謝、なのですが‥

その撮影行で訪問した大板(ダーバンと読む)機務段で、私にとってはとんでもないものを見てしまったのです。

「デフ無しの前進型」

中国国鉄の「前進型」というのは、もともとソ連の「エリ級」という2-10-0が現設計で、それの火室を延長して2-10-2に設計変更して新造した「エリベー級」の図面や治具が中国に提供されて、トンネルなど中国の建築限界に合わせてボイラー中心を低めた上で大量増備されたものです。

通常の「前進」はコルゲート付の大型デフレクターを煙室の両脇に立てていて、それがアクセントになっているのですが、デフを取り去ってみると、まさに「エリ級」の面影が蘇って、アーノルト・シュワルツネッガーの風貌を思わせるソ連のテイストそのもの、ブッキラボーな精悍さが溢れていました。

井門さんのお話では、それは入換専用機で、大板のように大規模ヤードに隣接した機関区には大概1,2台配置されている、とのことでした。

「2-10-2の入換機でデフ無し!」刺激的なことは吹田のD51以上です。6軸テンダーの入換専用機なんて!

しかも、大板のデフ無し機は、キャブの側窓も「前進」の標準である、「嵌め殺し窓+防寒出窓」ではなく、側板の長さ一杯に開口部を拡げ、「1枚固定+1枚引き窓」の2枚構成の大窓にした変形機でもありました。「前進」の初期車なのか、入換作業の展望を良くするための改造車なのか?これも井門さんによれば、「由来はわからないが、稀に同じものを見る」とのこと。たしかに帰国後見せていただいた、弟さんの井門憲俊氏が内蒙古のほかの機務段で写された廃車体もデフ無しで、この二枚窓キャブでした。

好き好きでしょうが、元来何によらず大窓が好きな私にはこの「大型二枚窓」もたまらない魅力です。

これを間近に見たのは夜でしたが、翌日の午後、マイクロバスで大板を去るとき、車窓遠く白土の原野の向こう、工場か何かの引込線で同じ罐が入換をしているシルエットが見え、その孤影の剽悍さにますます惚れ込んでしまいました。

ご存知のようにModels IMONの製品にはHOのブラスモデルで「前進型」があり、集通鉄道の「6軸テンダー仕様」は「スタンダードC」に当たります。

中国から帰国して以後、それを使って「前進」の「広窓デフ無し入換専用機」が作りたくて仕方がありません。

当時すでに本線運用の重連運転用として、IMONの「前進」は2台持っていましたが、常に「改造用に3台目を買うか?」という誘惑が頭の片隅を渦巻くようになりました。

とはいっても、毎年米国でブラスモデルの数年来予約してあったのが発売されるのを引き取らねばならない、同じIMONからは、これも小学校当時から憧れの満鉄ミカイが数仕様発売にもなる、などがあって、予算はそちらに回り、「3台目の前進型」購入はついつい延び延びになっていました。

しかし、そうこうするうち、同社の店頭にも「スタンダードC」の姿を見なくなってしまいました。「親と金」のほかに「まだある、と油断すると無くなる」のが「店頭のブラスモデル」なのです。これには過去にも苦い思いをしていますので「ひょっとしてミスったか!」と心配になりはじめました。

この秋、慢性金欠症の私としては極めて珍しいことですが、米国に旅行してもまだ機関車1台分、懐に残る、という異常事態が生じることがわかりました。きっとどこかで見落としている支払予定があるはずですが、この際、それは目をつむってしまおう!出てきたら出てきたときだ!

意を決しIMONに問い合わせると、「スタンダードCは残り僅少ながら、まだかろうじて在庫がある」とのこと。ここがもう見切りのつけ時、と購入しました。中国型などという特殊ジャンルは確信的ほれ込みで買われるので、売り切れたら中古市場で入手するのは困難と考えなければなりません。

これが先週の私のモデル・ライフ一番のニュースです。買ってきて、さっそくデフを外しました。ビス止めになっていますので簡単な作業でした。大板で見た通り、米国型でも欧州型でもない、ソ連の無骨なテイストが現れました。「レッド・ブル」と渾名を付けましょうか?

「キャブの広窓化」はどうやってやるか、いま思案中です。

「いまでの2台は前重連で、デフ無しを区間後部補機にして‥」半世紀近く前のTMSのD51三台競作の記事の刺激がまだここにつながっています。